2005-01-01から1ヶ月間の記事一覧

●;127人が集まったイベント終わる

●;12月〜1月にかけてメチャメチャ忙しかった。たかが「100人規模」のイベントを行うがためにだ。人手があるわけではないし、そんなにカネがあったわけでもない。問題は100人ほど集められるかにかかっていた。最初から「100人」を集めることに否定的な調子で…

●;東国の人の死(2)

●;土浦までは上野駅から常磐線で1時間強、椅子の下が熱い。少し眠る。先週亡くなった従兄弟が国鉄マンの特権を使って東京までタダで乗せてくれたのもこの常磐線。上野まではえらく遠かったな。 土浦駅に降りるのは何年ぶり。駅前はどこの駅も同じ風景だが…

●;東国の人の死が続く

●;携帯が鳴る。のそっとした声が届く。ゆったりとした口調も大柄な体躯そのものだが、圧倒感がある。彼が電話してくる時はいつも「に連絡してくれないか」だ。大概は不幸な事件の知らせばかりだ。 「イリエが死んだんだ」。 「エッ」。今年の年賀状の宛名は…

●;従兄弟の死

●;先週、年上の従兄弟の死が伝えられる。すこぶるつきのを保持していた元国鉄マン(定年まで線路工夫)であった。母親の実家の家長を務める彼は年々優しくなっていった。この無類のは何だろうと考えこんだことがある。書棚には使わなかったであろう「百科事…

●;「憲法論議」(2)

●;私の発言はしどろもどろ。何を言いたいのか自分でもわからなくなった。聴衆からもそんな気配が。言いたかったのは「天皇の命令」のことである。戦前の「国体」という観念がはびこり、国民が皆「天皇の赤子」になったのは日が浅い。インテリだった学徒動員…

●;トークライブで「憲法論議」

●;新宿職安通りの「ロフト2」で知り合いの三上治氏が「憲法村」の村長としてトークライブをやることになり、その一回目に顔を出す。「憲法村」というネーミングは、まぁいい。村の寄り合い風に語ろうではないかとの試みであ。ただ、バテバテ状態だったこと…

●;年賀状始末記(4)電話しまくる

●;年賀状の返事を出さなかった人で気になる人がいる。どこかで人たちである。ちょっと厄介な仕事の合間の息抜きにといっては失礼だが、立て続けに電話を試みる。何年も会わないでいる人ばかりだが、一瞬の声を聞きたくなる。ただ、電話というものは暴力的な…

●年賀状始末記(3)

●;もう来ないだろうと思っている年賀状が今日も10通ほど。あぁ、この人からも、参ったな。何年も会っていない人たちが大半、昨日か一昨日会ったかのような親和感のある文面が滲む。顔だけはしっかと覚えているからも。うれしいが期待するほどの情感が溢れ…

●寒い日、年賀状始記(2)

●;午前、金融大手子会社に新年のご挨拶。社長室で30分ほど駄弁る。出された日本茶の色と味がいい。さすがだなとつまらぬことに感心。「ブランド」について社長が語る。「金融再編過程にある。その中での生き残りが必死の課題。M&Aされるにしてもするにし…

●;遅れて年賀状を出す

●;雑用に追われていたこともあり、暮の年賀状書きをさぼった。150枚ほどハガキを買い込んだのだが、全部手製主義のせいもあって(ワープロ、PC時代になっても全て手書き)、けっこうなエネルギーを使う一仕事なのでパワーが出なかった。(仕事上で)不義理をし…

●村中孝次(3)

●;村中孝次が遺した(と言われる)「九千万よりお前らが重たくて困る」とうことばの出所を知りたくて、大晦日の日、屋根裏部屋を探していたら筑摩書房版の『超国家主義』(64刊)を見つける。解説の橋川文三に惹かれて買ったものか。埃にまみれて湿っぽく手…