●;中国から帰国した人と会う

●;知り合いのデザイナー事務所で簡単な打ち合わせの後、近くの珈琲店に寄る。有田芳生氏の「ブログ」で神保町の「エリカ」主人が亡くなったのを知った。80いくつかまでカウンターに立っていた主人に見覚えがある。ちょっと怖い顔をしている人だった。200円のトーストと珈琲の取り合わせで、店に置いてあるスポーツ紙、日刊紙と週刊誌を拾い読みするのが、さぼりタイムの悦楽であった。「エリカ」は神保町周辺(飯田橋にも一軒)にいくつかあり、店のスタイルは各店同じ。岩波書店「PR誌・図書」の元編集長が言っていたが、西神田の「エリカ」は、梁山泊的な飲み屋(出版関係の人々…たぶん、左翼系?が集まっていたのか)が変わったのだという。白山通りには、幾星霜、栄枯盛衰、小さな出版社が見え隠れして軒を並べている。「エリカ」のことなどは「本の街」というタウン誌が誰かに書かせてもいいネタではないかな?
読みたい記事があった訳ではないが「週刊文春」をさっと読み。地下鉄駅に向かう道端で旧知のFさんと何年かぶりでバッタリ。「おう、おう!」と声を出す。連れ立っている業界仲間のY社のF氏に「これから飲みに行くのだけど〜」と誘われる。朝から体調が悪く、エスケープしたいところだが、Fさんが中国で何かを教えていることを聞かされていたし、何年ぶりかなのでついていく。
●;Fさんは、中国東北部遼寧省で現地中高校の生徒〜教師に「日本語」を教えている。地理的に無知なので彼の説明に「ハハーン」と頷くのみ。単身赴任で4ヶ月ほど滞在していたが一時的な帰国らしい。酒を飲みながらの話は、もっぱら「本」周辺の与太話。お互いにエピソード記憶の連発。一日中?本屋を歩いていたらしく、四方田犬彦「先生とわたし」(新潮3月号)の由良君美の話。Fさんと一緒に仕事をしたことがあるが、彼の由良君美評価がわからなかった。著作家としての四方田犬彦氏は好き。映画評論は読んでいないけれど、ニューアカの「GS誌」に掲載された論文は(全く)手がつかなかった。<映画の中の月島>から起こしていく『月島物語』(集英社)…最近、その増補版も出た。教駒時代を描いた『ハイスクール1968』(新潮社)にもリリシズムがある。Fさんは、私のようなミーハーではなく、四方田氏には冷ややか。先週、同じ神保町ですれ違った石川九楊氏のことを短絡的に語る。その壮士的な文体に惹かれているところがあるのだが、Fさんはケチョン、ケチョン。ま、吉本隆明『言語にとって美とは何か』の方法を敷衍して筆触論を展開する石川九楊氏の批判は、よく聞く。ただ、神保町のアトリエ(=研究室)で見た谷川雁の詩を書にした石川氏の作品は、「フーム、こういう書き方があるのか?」と、驚きがあった。Fさんは「雁が好き」ということで同質感を得る。「サークル村」の石牟礼道子をインタビューした時の同席した上野英信氏からの屈辱的?な体験があるらしい。
60年代〜の京大生の谷川雁好きは連綿としてある。京大OBの石川氏の友人・八木俊樹氏(故人)は、私家版の『谷川雁未公刊集』を身銭切って編集刊行をやり遂げた。ほんのちょっとだけ資料収集の「手伝いの手伝い」をしたせいで一冊貰ったことなど思い出す。Y社のFさんは石川九楊氏の存在を知らなかったという(それは問題だな)。石川氏がタイトル文字を書いた「本」を集めている神保町の古本屋がある。
●;とめどもない無駄話が続く。「吉本隆明の「<老いもの>はいい」とFさん。(読んでいないなぁ)。「次のノーベル賞古井由吉で納得するねぇ」には一致。慎太郎が、早く辞めるべきなのは「芥川賞の選考委員」と、Fさん(だよな)。Fさんに知り合いの燕山大学の中国人教授のことを喋る。京劇俳優の息子で、文革では芸能者一家は、排除の対象であったと聞いたことがある。「そんな人にお会いしたいですね」と。その人と会えるような計らいをすることにした。