●年賀状始末記(3)

●;もう来ないだろうと思っている年賀状が今日も10通ほど。あぁ、この人からも、参ったな。何年も会っていない人たちが大半、昨日か一昨日会ったかのような親和感のある文面が滲む。顔だけはしっかと覚えている<いい女>からも。うれしいが期待するほどの情感が溢れている訳ではない。バカめ、そんなものだ。<ブランショ、網野、デリダ、ソンダグもか。でも生涯現役でありたいですね>が、<ありえないですね>とも読み間違う。回りでは評判がいい中沢新一の『僕の叔父さん 網野義彦』(集英社新書)は読みたくないタイトル。ボクイズムくさいから。<懸案の諸々、新年は形をつけていこうと思ってます>にギョッ。約束を果たしてないことに対する暗黙の要求か。それともこの人の懸案って?
●;声が聞きたく電話する。あいにく彼らは家には帰っていなかった。ある人の奥さんに「賀状をいただいたが、返事を出さないでいる。すみません」と謝る。と、受話器の奥でクスッ。無類の明るさを絶えず灯している不思議な魅力を持った彼は好漢の名にふさわしい人だが、その奥さんも<明るい人>そう。
もう一人は(たぶん)息子さんだろう。格別の用もないオヤジ風の見知らぬ男からの電話に「父はまだ帰ってきませんが」と丁寧に答えてくれる。絣の袴を纏った折り目正しい明治の書生のような感じと勝手に想像。