●;トークライブで「憲法論議」

●;新宿職安通りの「ロフト2」で知り合いの三上治氏が「憲法村」の村長としてトークライブをやることになり、その一回目に顔を出す。「憲法村」というネーミングは、まぁいい。村の寄り合い風に語ろうではないかとの試みであ。ただ、バテバテ状態だったこともあり、氏の講演(おしゃべり)にウトウトしてしまい、眠ってしまった。ビールとそこそこ心地よい暖房のせいで固い椅子の上で(たぶん)寝穢く眠っていたのだろう。休憩後の質疑応答で目が覚めた。場の空気が変わったせいだろう。
●;「改憲論議」は政治過程に入りつつあるという。半分はほんとだろうが半分は疑っている。本気かいな、と。為政者側の危機感がどのあたりにあるのかは推論は出来ても、「そうかもしれない」程度で「そうだ」と断じ切れない。従来の保守派の「お仕着せ憲法論」だけで「改憲」を問うても一部のナショナリストおじちゃんらの大きな声を集めることは出来ても、それだけでは「改憲する」強い意思が感じられない。。「別にぃ、今まででいいじゃん」という普通の人の声を包めこめない。
彼らの危機感、矛盾意識、その苛立ちがよくわからない? これまでの民衆統治の根幹である「憲法」を変えるという労力・エネルギーの発露がわからない。
国際化-グローバリズムに於ける「新・国民統合」であるとの解釈はわかる。例として「国際貢献」の名による自衛隊の出兵-国軍化を遂行したい。そこもわかる。国民統合の象徴である天皇家を保持するために皇室典範を変えて女帝を認めようとする。そこも、まぁわかる。まだまだ天皇の使い道を考えているのはわかる。国際化に役に立つ人材という名で「教育の見直し」を進める等々、ここまでは分かる。「大きい政府」というより「強い政府」にしたいのはわかる。その奥底、この国をどうしたいのがわからない。
●;若い質問者が「脅威論」を呟いた。拉致問題北朝鮮核武装した中国などの「敵」が来るから「改憲してもいいじゃないか」という意見であった。マッチョな石原慎太郎などが口にする論法、国を<女>に見立て「蹂躙され」、「陵辱され」ているのを見て<男>として立たんかい!という感情論だ。「核戦争なんてないぜ」と、はっきり言ってやりたかった。別の30代の男がニュースショーなどに天皇一家のファッションがどうのこうの取り沙汰されるのはけしからんみたいなニュアンスで発言した。私は「別にいいじゃん」という意見だから手を上げた。