●;遅れて年賀状を出す

●;雑用に追われていたこともあり、暮の年賀状書きをさぼった。150枚ほどハガキを買い込んだのだが、全部手製主義のせいもあって(ワープロ、PC時代になっても全て手書き)、けっこうなエネルギーを使う一仕事なのでパワーが出なかった。(仕事上で)不義理をしてしまった人に出す一筆が言い訳がましくなって困っていた。サボってしまった理由のひとつ、書くことに逡巡していた。「頼りにされていたのにちゃんとやれていない。申し訳ない」に尽きるのだが、詫び状的な言い訳がましい文章もなんだななどと思っているうちに暮と正月のせわしない雑事に追いまくられて1月3日が過ぎた。付け足す理由としては、年始の欠礼の挨拶状がやけに多かったことだ。友人たちの親がそういった年齢なのだろう。感慨に耽ったのではないが、いざとなると気が殺がれたことはある。
だが、家に舞い込んだ丁寧な年賀状を前にするとさすがに追い立てられる。3日の夜、コタツに足を突っ込み、テレビを見ながらだがほぼ徹夜。青いフェルトペンでハガキいっぱいに<窓>を作り、何年も使っている謹賀新年という印章を押し、赤ペンで「2005」と書く。表の宛名は万年筆で、住所だけはゴム印、そこから各自宛にことばを記す。
●;書き出すのは<女性たち>からである。職場で机を並べていた人たちがほとんとで、いつまでも麗しくいてほしい人々だから書きやすい。何年か前のキリッとした顔を思い浮かべて「元気でいてほしい」みたいなことを水彩画のようにサッとペンを走らす。個々の顔を思わずに書くのは失礼だ。まして自己PRめいたナルシズムの、あるいは家族自慢のワシズム的なことは記せない。<男たち>とは、個別的な関係が色濃いから一枚、一枚を考えながら書く。