●;従兄弟の死

●;先週、年上の従兄弟の死が伝えられる。すこぶるつきの<優しさ>を保持していた元国鉄マン(定年まで線路工夫)であった。母親の実家の家長を務める彼は年々優しくなっていった。この無類の<優しさ>は何だろうと考えこんだことがある。書棚には使わなかったであろう「百科事典」に並んで分厚い「国鉄組合史」が鎮座していたので、いつか国労のことをどう思っていたか聞いたことがある。定年になるまで国労に所属していたからだ。茨城弁でポツリと語ったのは「一度、決めたら最後までつきあわなくっちゃあんめぇ」であった。昨夏、従兄弟の家に寄った時にもちょっとしたしぐさや表情に<重たい>感じがしていた。「がん」にやられていたのである。
ちょっとささくれ立つような忙しい仕事を抱えていたため、こっちの気持ちの荒れを戻すのに時間がかかったが、仕事場から電話する。電話口のふだんは明るい奥さんの声に思わず涙が出る。
「わかった。わかった。土曜日の葬式には行くからよ」とだけ。それ以上のことばは出ない。金曜日は半徹夜、少し眠って車で常磐道を走る。2時間ちょっとで真新しい斎場につく。大きな花輪が並んでいる。豪勢だなあ、と。
●;彼に連れられて上京した時は一日がかりだったような気がする。水戸まで私鉄、そして上野。その国鉄マンは全て顔パスで私鉄沿線の我が家まで私を届けてくれた。それが最初の親切であった。