●;保坂正康『東條英機と天皇の時代』

●;名前は、知っている程度だけど著した本と出逢わなかった人というのは(当たり前だよ!)数多くいる。読まずに過ごしていたわけだ。保坂正康氏に「ほぅ!」と感じ入ったのは、原武史氏との対談本『対論 昭和天皇』(文春新書・04刊)から。原氏の『大正天皇』(朝日選書)感興を覚えたことがある。その後、氏をミーハー的に意識するようになり、対談本であるその本も手にし、保坂氏の見解を知るが、この人の昭和史(戦前・戦後)への取材の質量がそんじょそこいらの並大抵のものではない。昭和史(彼が生まれ、生きた時代)を突き詰めようというモチベーションの高さを知らされる。以降、保坂氏の本を書店、古本屋〜図書館(果てはブックオフまで)で眺めるようになる。著作の多い人だが、いくつかを読んだ。
●;『東條英機天皇の時代』は(04年刊・ちくま文庫版・700ページ)。「文庫はしがき」によれば、初版は1979年に「伝統と現代社からとあり、その後文春文庫に、今回は二度目の文庫入りとか。「伝統と現代社」の社長は最初の職場の遙か先輩の戦中派。その方が具体的に担当したのかな?、発刊当時「なんで、今、東條英機なの?」と訝った記憶が少しある。城山三郎広田弘毅阿川弘之の三部作『山本五十六』『米内光政』『井上成美』などがベストセラーになったとしても、東條英機の存在は遠かった。まして東條らA級戦犯など祀られている靖国神社の存在などには少しも関心がなかった。前世代の建物も壊し、歴史記憶もかなぐり捨てて「開発と消費」にひた走るバブル前期であった。
●;いつだったか、東條邸跡を偶然、みつけた。偶々、勝海舟の何代目かの人のマンションに勝舟の写真を借りに行ったことがある。「ご当主が在宅の時に〜」と、電話口の当主のご母堂の声の上品さに牽かれて訪ねた時の気分を大事に持ち帰りたく、スキップしていたわけではないが、住宅街の坂道を降りて行った時、道端に区役所だかが立てた小さな大理石の案内塔を見つけた。跡地には某宗教団体の味も素っ気もない建物が建っていた。コンクリート建ての集会所らしい。確か歴史グラフ誌か何かで見た東條首相がピストル自殺を図ったのは、用賀の邸でである。こめかみにピストルを当てて弾を打ったものの、未遂に終わったらしい。ちょっと前までは軍神・東條首相と讃えていた人々は、自殺未遂に終わった東條を掌を返すように「死に損ない」と暗に罵倒したらしい。酷薄なものである。太平洋戦争突入時の最高責任者・東條は、MPによる逮捕直前、この邸での自殺未遂事件のイメージをずっと引きずっている。哀れと言えば哀れである。