●;諸田玲子と中沢新一の本を「ブックオフ」で

●;柳美里のエッセイ集に『窓のある書店から』(ハルキ文庫)がある。芥川賞を貰って有名?になる前に「図書新聞」に連載されていたもので、業界仲間からの伝え聞きでは「芥川賞を取る」とのことだったが、タイトルがチャーミングで、ほぼ毎週の書評エッセイを読んだ。で、この作家の本の読み方というか、そのセンシティブさに感心したことがある。才気の存在にである。書店はいろいろな貌があり、商品としての「本」をよく知っている店長や売場担当者が編集した平台や棚には貌があり、その「いい貌」に惹かれて人は書店を訪ねる。柳美里のタイトルの「窓のある書店ってなんだろう?」と、一瞬だけど、考えこんだのだろう。柳が書店という存在に「窓」という隠喩を用いたのは「本」から受感する自分の意識(=<空気のようなもの>)が「窓」から外部の世界へ流れていく様を描いていたように思う(詳しく記憶していないが)。才気を感じたのはそこである。
●;週末、自宅近くの「ブックオフ」に寄る。隣に「ヴェローチ」がある。書店の近くには「喫茶店」の存在が必要だ。鞄の中に読むものは入れてなかったので、一杯160円の珈琲とタバコを二、三本吸って「本」を開いてみたかった。決してチャーミングとは言えない「ブックオフ」の100円棚を書名を追って歩く。諸田玲子『其の一日』(講談社)が眼に止まる。何年か前、偶然、諸田玲子氏の本を100円で買った。時代小説を偏愛している訳ではなく、全くの偶然である。「タイトル」も忘れてしまったが、かなり気に入った。奔放な武家の女の男とのもつれ合いを描いたものだったが、文章にいい「間」があり、その空気感が気に入って、諸田玲子という作家の名前を覚えた。その後、追っかけファンになった訳ではないが、新刊書店や図書館の棚などでこの作家の本のタイトルを眼で追い、かなりの量産作家であると知った。手にした100円本は、短編集『其の一日』。吉川英治新人賞受賞作とある。最初の一編を読む。フーム、やはり、いい「間」を持つ文体の持ち主だ。
中沢新一『リアルであること』(メタローグ・94年)は薄い本。薄い鉛筆でいくつかのページに下線が引いてある。古本のいい点は、値段が「安い」ことにプラスして前に読んだ人の<思考の軌跡のようなもの>(引っ掻き傷)も、受け取る。書き込みの引っ掻き傷も「いい」のだ。今、書き続けている中沢新一を気に入っているので、つい彼の本には手が出てしまう。「本」は、バブル全盛期の価値観に対抗して「身体的なリアル感」を情況論的に言い当てようとして「チベット修行体験」をバネに中沢が呟いている本のようであった。