暮の「わいがや②」

●;06/12/26日、本年最後の「わいがや;②」の集まり。コンテンツな人々が蝟集する《場》として3年近く続けている小さな集まり。《コンテンツな人々》とは手前勝手な造語だが《他者へ伝えようとする意思内容を持つ「人」、またはそれらの加工業者》という意味で使っている。業界人の内輪話で盛り上がる集まりにはしない。「お互いがさまざまに啓発される関係」の《場》を創り出したいというのが(趣旨のようなもの)。呼び掛け人(=司会役も)の倉内慎也氏に言わせれば「ダラダラと続いている」。この<ダラダラさ>が「わいがや;②」のティストになっている。何かを構築しようと組織化意思をむき出しにするのではなく、「創発的な場の生成の瞬間」の快楽をそれぞれがポケットに持ち帰る。「来る者拒まず、去る者追わず」(誰も排他することなく、ストカーのような党派的になることを自然と拒んでいる。だから激しい?論争が起こっても誰かが急いで「結論めいた方向」に纏めることをしない。ま、言い放しの会合である。エライ人が上に立って述べ立てる講壇型の集まりでもない。こういった場面で、目立ちたくて主役になりたい人がいる。論敵、もしくは同士を素早く見つけ、言い負かそう、同質化を狙おうと手ぐすね引いている人もいる。彼の論理は確かめたくても、彼の自意識に犯されるのは「ヘッ!お断り、ダヨーン」。
●;この日はきんのくわがた社の北澤強機氏が考えている新規(事業)商品を巡って、いろんな識見〜情報を持っている人たちが意見を交わしあった。エディター&ライター氏、戦場ジャーナリスト氏、カラオケ会社氏、出版社営業マン氏。ま、一種の混合ブレスト、ラリーの打ち合い。
ただ、北澤氏が「疲弊してる書店に提供できる商品」といった前置きには、やや「?」な意見が多かった。一部の大型全国チェーン書店は別にして、潰れかかり逃散も倒産も日常化している下流社会的な中小書店の現状に詳しい人が多く「制度疲労の問題とは別だよ」という意見。制度が変わるのは、革命しかない。革命的な商品、革命的なシステムの登場は簡単ではない。氏が考えている商品が「革命的」かどうかは別として、一石を投ずるかも。中内功率いるダイエーが「メーカー→問屋→小売」のシステムに「価格破壊」のプライス革命で迫ったように。ダイエーは主婦たちを味方にしたが、北澤氏は、誰を味方にしようとするのか? 書店(員)か。「わいがや理論?」による「あへほの原則」が貫かれない商品〜事業は(思いつきはいいとして)失敗か、挫折で終わる。「あっ!」とは新規性、「へぇー」とは裏付け、ロジックがあること。「ほう!」とは顧客の喜び、感動を呼び起こすかである。つまり「新しい(イノベーション)価値」かどうかだ。