●;下層の人、上層の人(1)

●;下流社会の逆、「上層の人々」の形成のされかたに興味が興る。上流社会そのものではない。重臣たちの作られかたである。ある国策会社の子会社氏と喋った際、話の端々からその会社の慄然とそびえ立つキャリア組の存在が見えてきた。そんな会社は見たことも触ったこともないので、相槌を打ちつつも「そういった国家に近い会社ほど、国家の権力構造に<似せた姿>を作っているのだなぁ」という程度の凡庸な感想しか持ち合わせなかった。そんなお粗末は酒の肴にもならない。
多木浩二戦争論』(岩波新書)の一節に明治の「富国強兵」策に徴兵制が敷かれたことが「軍による(日本の)近代化」を進めたとあり、いわゆる「産/官/学(これに防衛省となった自衛隊軍も加わるであろう)の「エライ人たちの世界」の「権力(と権威)」の形成史の一齣、二齣を自分なりに理解してみたくなった。エライ層に近寄ってその表門から内部を覗いたこともない(どうでもいいこと)けれども。
「エライ人ち」の頂点は天皇で、彼らは位階勲位等をお下がりする線上の人々だろうが、そういったエライ人たち(上層の人)に「僻みの目線」になってしまうのを恥じつつ、彼らの中にもいた<格の持ち主>を知覚しながら「オイオイ、みっともないぜ」と言いたくもなる昨今。たかだかの世襲議員や、身内に利権を与えて恥じない王朝気取り(実は私物化)のどこぞやの「長」に塩まきたくなる。村松友視ヤスケンの海』(幻冬舎)が引用している安原顕描く吉田健一の姿などは<格>そのものだろう。たしか吉田健一大久保利通の曾孫にあたる。

吉田健一は残念ながら一九七七年、六十五歳で急逝したが、夫人の仕切った葬式がまたダンディそのものだった。横浜にある菩提寺の住職は帰してしまい、葬式用の幕もとり払い、総理大臣や各国大使の花輪の名前もすべて外し、一流の寿司屋とフランス料理のシェフを招いて自宅で料理を作らせて弔問客に振る舞ったのだ。…そして告別式は未定としておいて実は翌日の九時に出棺という手際は見事というほかなかった。『「編集者」の仕事』(@安原顕)