●;沢木耕太郎『危機の宰相』(1)

●;沢木耕太郎『危機の宰相』(魁星出版・06刊)を手に取る。ポル・ポトの伝記があるかなと思って図書館で伝記の棚を探していたらぶつかった。魁星出版というのは、聞いたことがない出版社。忠実な読者ではないが、氏の本は(大概)文藝春秋か新潮社だと思っていたから(知らなかった)版元名にやや驚く。「あとがき」に新潮社の担当者であった人が辞めて興した出版社らしいことが書いてあった。この本の文中に何度か「義侠心」という言葉が出てくるが、担当編集者だった人へのはなむけであろうか。「所得倍増政策」を打ち立てた池田勇人、下村治、田村敏雄という三人を同一線でつまり<時代>を表そうとした物語。三人とも大蔵省出身、一高→帝大法学部が当たり前の省内ではどちらかというと(出世という点で)「敗者組」らしい…想像もつかない(選ばれし)科挙の世界である。その三人が期せずして「所得倍増政策」を推進する。「池田が<時代の子>であり、下村がその<眼>であるなら、田村は時代への<夢>そのものであったかもしれない」と沢木は書いている。池田勇人は宰相となり、下村治はその理論的バックボーン、田村は裏方で池田派・宏池会の閥務を仕切り、会報「進路」編集・発行人となる。
●;この本に流れる基底音には「義侠心」がある。池田勇人の亡くなった前妻に対する心遣い、池田に仕えた前尾繁三郎幹事長夫妻の銀婚式での池田勇人の挨拶。早くして亡くなった田村敏雄氏の葬儀における池田勇人の弔辞などに篤い「義侠心」を垣間見る。全て「敗れざる者たち」、ノブレス・オブリジェたち。下村治氏は怜悧な美意識の持ち主だったそう。一方、戦前のマルクス主義の洗礼を浴び、満州国にもはせ参じたロマンチスト・田村敏雄氏が池田勇人を総理にという夢追う男の<像>が印象深い。