●;宮内勝典『焼身』から

●;宮内勝典氏が『焼身』(集英社・05刊)を書くキッカケは、ガソリンを被って焼身自殺した僧侶の燃えさかる写真を<見た>こととしている。同時代的に<見た>というのは「記憶の捏造(=錯覚)」らしく、焼身自殺は1963年だそうだ。私も何かの写真集や雑誌のヒトコマで<見た>ような気がする。氏が僧の実在の像を求めての作品だが、対比されるのは、カンボジアの森の暗闇にいた帝王ポル・ポトである。ベトナム戦争が先進国における世界的な反戦運動に拡がっていったキッカケは<写真の力>だった気がする。日本では岡村昭彦、沢田教一らのベトナム戦場写真であった。南ベトナム解放戦線と南ベトナム政府軍とアメリカ軍の戦いの場面については、「ベトナム海兵隊戦記」といったテレビ・ドキュメンタリーもあったが、モノクロ写真による「特権的瞬間」(@ソンダグ)が戦争の悲惨さを有無を言わさず伝える点では力があった。
●;「1968」が<世界的な革命>であったというウォーラスティーンの言説をてかがりにするすが秀実の論述もそうだが、党派系活動家による「60年代〜もの」を読んでも、結局は、おらが革命運動体の正統化−合理化話で面白くない。1936年創刊の「ライフ」に始まるフォトジャーナリズムが、果たした役割を紐解いた本が手元になく(スーザン・ソンダグの『写真論』(晶文社刊)があると思うがどこかへ行ってしまっている。