●;『嫌老社会』という本から(3)

●;「60歳以上を<老人>と言い始めたのは、いつの頃からだろう?」。著者の長沼行太郎氏によれば、近世以降で1960年の国勢調査まで続いたという。「65歳以上」を「老年」としたのは65年の国勢調査からで、高度成長期にさしかかった頃には<老い>の量的進化と自然年齢が乖離しはじめた訳だ。「還暦」というコトバも市民生活レべルでは使われなくなり、死語に近い。「老人」というコトバよりもむしろカタカナで著される。「オールド」などはご愛敬で「シルバー」とか「シニア」はごくフツー。中にはわさわざ「アクティブシニア」と名乗る団体もある。派遣会社には「エルダー事業部」と名乗るのもある。「サードエイジ」という雑誌もあるくらいで、マーケットの対象としての<老い>も含め、まだ定義されていない。自己憐憫的に「ジジイ」と名乗る時もあれば、嘲笑的に?「ジジイ」と呼ばれて「ムッ」とする時もあるトシヨリ…というのが実相である。その実態も正確には把握されてはいない。社会的には「ある年齢」を境目に「トシヨリ扱い」をされているが、ご自分は決してそう思っていない…その点「老人」は主体的概念である…と著者は言う。

近代の産業社会の原理は、機関車のピストンのように落差のエネルギーで驀進するものであり、また資本主義は、絶えず自己自身を更新・拡大していく本性を持つので「新しさ」に価値を置く。だから、老いや古さは、敬愛されることなく、対比的に負の項に置かれ続ける。経済のみならず、社会・文化の領域も、ファッションもCMも、若さ、新しさのイメージを必要とする。

還暦というコトバが退化し死語となっていくのと「若さ(文化)」の横溢と席巻は反比例している。「紅いチンチャンコ」をトシヨリに着せるといった赤ちゃんに本掛返りするのを言祝ぐ習わしは、高度消費社会の形状には合わなくなったのか、いつのまにか(周辺では)消えている。祝う家族もない代わりに、ご本人も「若さ」を矜持したいのか断る。(基本的に)「子どもに迷惑を掛けたくない!」シヨリは「老いても盛ん…いつまでも若く〜して」と「ピンピンコロリ」(PPK)といった思想?にたなびく。「老後への不安」が当事者だけでなく、同居する息子・娘の世代も巻き込んで拡がっているのを感得はしているのは事実。
不安の正体は何か。…ここの指摘がこの本の極めである。

経済的生活上の不安の根底に、老後のイメージの不在がある。