●;『嫌老社会』という本から(2)

●;『嫌老社会』という本で長沼氏が言っていることは、

今、考えるべきことは「<老い>の思想と技術」…につきる。

●;(私らの眼前に)横たわっているのは、「超高齢化社会)の出現である。2015年…4人に1人が65歳以上の人々が棲む社会であり「長くなった老後問題」でもある。誰しもが判で押したように誰しもが口にするが「高齢化・少子化社会」の<困った問題>をちょっと覗いて見れば高齢者間の「世代内経済格差」がまざまざとあり「ビンホー人は早くくたばれ」とばかりの「健康格差」「希望格差」のシーンを生んでいる。(みのもんたに代表される番組のように)健康商品の一斉コマーシャルから、日毎、ワイドショーでキャスターたちも口をつぐむ「介護中の老夫を老妻が撲殺」とかの「希望を失った家族間」の悲惨な現実に取り囲まれている。長沼氏が言う「(生活)技術」とは、お金の問題、医療の問題、健康の問題であり、「思想」とは「長くなった老後」を生きる覚悟(哲学)を構築する問題としてある。「高齢化向けの商品化」は進行している。
《長くなった老後》に、私らが通念として持っている<老いの理解>もまた、底が浅い。その誤謬を著者は言う。「高齢化(社会)」と言うコトバから連想されるのは(氏の周辺の学生に書かせると)「車いす」「福祉」「年金」など「福祉問題」としてのイメージが浮かぶのだそうだ。一部の富裕層をターゲットにした金融系会社、旅行会社、ブランド商品メーカーなどの商品開発運動は、一部ではバブルっぽい現象(街の変容など)を伴って露出しており、「医療改革の名の元での老人医療費自己負担率アップ」、高度成長期のガンバルサラリーマンの妻が買っていた「壮快」などの「健康雑誌」の民間治療法がテレビ報道化-一斉放射して<不安>を掻き立てている。