●;t『嫌老社会』という本から(1)

●;撤去されてしまったが都庁前の通りのホームレス諸君たちの「ダンボールハウス群」も、最近、退去させられたと聞く穂高涸沢のテント村のように上野の山で越冬する登山者のように青い天幕で競い合っていた「シートハウス」も、常磐道を車で走るときに隅田川沿いに川の民のような「青いテント群」も私には<近いもの>を感じさせる。小学校高学年のとき近くの空き地の一角に拾い集めてきた板きれや棒きれで「小屋のようなもの」を作って別天地の雰囲気を満喫した記憶がある。
長嶋聡氏の『ダンボールハウス』(五十嵐太郎解説)が描いているように「わが栖」を構築した際の小さな歓びはたとえようがない解放である。
●;長沼行太郎著『嫌老社会』を手にしたときの「嫌老」という字面からは《》という文字の強度を受感した。「ケンロウ」とは聞き慣れない。せいぜいが「堅牢」という文字を連想してしまう。『希望格差社会』が人の口に上るようになってから三浦展下流社会』あたりを筆頭に「〜社会」といった「社会の生態」を描いた本が「〜学」といったタイトルをつけての新書の類で続出している。世の動態を描く「マーケティング的な本」にも現れている。
「社会の秩序というもの」から排除されていく<老>の象徴的存在である「ホームレス」が中心に座っている本かなと思った。ただ、長沼行太郎氏の『思考のための文章読本』といった<分析的な本>を読んだことがあるので、それはないだろうと思ってページを開いた。