●;新書ブームだって…

●;「朝日新書創刊!」といっても(出版)業界人の誰も読者も騒がない「新書ブーム」についての《まなざしの快楽》…Picarrr氏》の見解。「新書ブームなるもの」は以前にもあった。持ってはいないがみすず書房ですら「新書」を出した(確かではないが…「大衆化社会の拡がり」を迎えつつあった1960年前後だと思うが)。

あるブログを単独で読み込むというよりも、いまブログ界隈で話題になっているテーマについて、様々なブログを「ちょい」読み、そしてブログを「ちょい」書く。これによって、話題は「データベース化」されていきます。だからかつてのホームページのように単独で読み込ませ、認知負荷が高いサイトよりも、ブログ界隈で流行りの「大きな物語」に関しての簡潔にコメントを発するものが好まれます。

しかし社会に対して影響を与えると言う意味では、ブログよりも2ちゃんねるの方が大きいでしょう。2ちゃんねるでは一つ一つはさらに小さなコメントですが、それが「祭り」という盛り上がりとして影響を与えます。そして「祭り」はこのような影響に確信犯的に行われます。そして次々と話題(データベース)を消費しています。

膨大な発言でインフレーション気味」のブログに対して、ちょっとしたプロがわかりやすい解説を書く、データベース化された話題の解説書というような位置を新書ブームは担っている。

仲俣暁生氏が「海難記」で記していたが、岩波新書中公新書(現代新書)と違って「新・新書」とでも言うべき新書グループがある、と。光文社新書集英社新書、洋泉新書らを言っていた(ソフトバンク新書も入るかな)。岩波、中公型の教養主義的?新書に比べての傾向を指しているのだが、前者に比べ「何かの解体」を促している新書群とまでは言ってなかったが。社会動態を解釈するタイトルの新書はめたら多い。「下流社会」「格差社会」は日常語になっているが「嫌老社会」(長沼行太郎ソフトバンク新書)まで出た。読者は、にわかブロガーも含めていっぱしの「社会学者風」(もしくはマーケッター)になったつもりになる。
●;そんな「ちょい参加」は「時務情勢家」(またの名は床屋政談家)もしくは「警世家、評論家気分」にならされているといってもいい。ごく最近で言えば「北朝鮮核実験」のニュースに反応する自分というやつ。ニュース番組〜ワイドショーに登場する北朝鮮専門家や軍事評論家などの意見をつまみ食いし、センセーショナルな見だしの週刊誌は「中吊り」広告で読んだ気持ちになって、垂れ流しの映像資料も含め、膨大な情報データベースの「認知負荷社会」(@Pikarrr)に私らは滞在しているわけで、てっとり早く有名・無名識者のブログの見解に近寄り、「ハハーン、フムフム」と納得しまた「ちょい参加」へ走る。Pikarrr氏のキーワードは「データベース消費」(@東浩紀)だが。