気になる言説(6)

●;時務情勢論を吐く警世家の文章に惹かれることはない。通りすがりの人である。ぶつかったり反発したり、影響をうけたということはない。ただ、自分と同質な感じを感じさせる文章家には惹かれ「追っかけ」になる。中井久夫氏も言っているが「文体は文章の肉体」だ。同質感とはいっても読み手が勝手に想像逞しくしているだけである。
『時のしずく』(みすず書房)の中に須賀敦子との一瞬の出会いを描写した箇所がある。「Y夫人のようであった」、と。「Y夫人のこと」は『家族の深淵』(同社)に納められている。氏が失意の頃に下宿していた韓国夫人のことである。「私を支えた背後の力の人」とある。「Y夫人のこと」はやや長い自伝的家族史が[注]に伏せられているが、「石光真清三部作」(龍星閣版…今は中公文庫版がある)を「書架の中から見つけた若い人と親しくなった」という記述があった。吉本隆明谷川雁が褒めていたこともあって龍星閣という版元までわざわざ買いに行った。後に、息子さんである編纂者の石光真人さんにインタビューしたこともあって、「中公文庫版」は何人かの年下の若い人にプレゼントしたことがあった…それが「同じ本」を愛でていたことの同質感の一つ。
さらに『家族の深淵』に出てくる多摩川沿いの団地に住んでいたという地理の縁。といっても、そこに住んでいた職場の年下の男を深夜麻雀のあと、車でよく送っていっただけ(奥さんにはイヤな顔をされたが)。京大ボート部出身の偉丈夫の彼の存在感が好きだったせいもあり、よけいにその団地のたたずまいをよく覚えている。もしかして「あの団地に住んでいたのかな?」と。また、身内の分裂病者の付き添いで大学付属病院を訪ねていたことがあり、
診察する精神科医の手さばきに「一体、彼らの職業のアイデンティティは何なのか」と関心があったことなどが「同質感」のよりどころである。
●;評判がよかった『分裂病と人類』(東大出版会)は読まずに放って置いた。山口昌男氏らが編集委員だった「へるめす」(岩波書店)に中井久夫氏が「神戸その光と影」という論文を寄せていたのを何かで知っていたが、雑誌を周りで持ち上げる人が少なく(その後の「第二次・へるめす」も残念ながら何も遺さなかった)。「80年代的・現代思想」から一周遅れのランナーのような雑誌だと思っていた。若い三浦雅士氏を果敢な競走馬に仕立て鞭を当てているのが山口昌男氏という業界的な戯れ言的な評判を信じていたから、「岩波が(遅れて)「現代思想をやるのかよ」という反発もあった。戦前・戦後の岩波書店人文書業界のトップランナーではあったが「60年代的な知」の出版社からズレていて私らの支持は全くなく「世界」など読むのはバカにしていたものだ。「へるめす」を読まなかったのにはそんなどうでもい理由もある。
後年、リストラされてヒマな職場に移された頃、前の席の美貌の女性が神戸大出身ということもあり、浅ましくも神戸のイメージを持って近寄りたく「神戸の光と影」の入ったエッセイ集『記憶の肖像』を手にしたのがキッカケ。その後は「同質的なるもの」を勝手に重ね合わせ「追っかけ」になった。