気になる言説(5)

中井久夫氏の『時のしずく』(みずず書房)にこんなフレーズがあった。阪神・淡路大震災時の「災害被害者が差別されるとき」という一節の中で。いろいろなことが起こされた。

一般に「ステロタイプ」がないところに差別、少なくとも差別的感情はないであろう。逆に、ステロタイプが形成される時、集団的差別はすぐ隣室まで来ている。

氏は、こう記している。《関東大震災においては、下町の被災を見物に行っていた同じ人たちが、帰って自警団を結成している。ここでは「被災者のステロタイブ」がすでにできあがっている。そこから「被災便乗者のステロタイプ」までわずかな一歩である。その「便乗」者に「不逞朝鮮人社会主義者の跳梁」が上乗せされていた。関東大震災で自警団が多く作られたのは、罹災の中心地であった下町ではなく<中心>から離れた山の手、千葉あたり。横浜では大きな被害のあった港側ではなく高台側だそうだ。

中心地から逃げてくる人たちが物乞いしたり、盗みを働いたり、果ては家に上がりこんだりはしないかという疑心暗鬼である。自分ならそうしそうだという自己心理をステロタイプの「被災者イメージ」に投影したものである。

●;<中心>から遠ざかるにつれ、被災の姿は見えなくなるが、関心はつき動かされる。野次馬根性というものでもない。被災現場を見物に行く人々が増える。被災者の無惨な姿を意識的・無意識的に想像し、「被災者のイメージ」を作りあい「見たきたような話」を語り合う。そこで生まれる共同感情が「やっちまえ!」といった暴力行使に入っていったのだろう。私の住んでいた街の酒屋のオヤジが「自警団長」として勇猛なアジテーターだったと、中学生の頃人づてに聞いたことがある。普段は慇懃なフツーの商店主の裏側に怯えた覚えがある。
また、そこそこ知られたある物書きが「神戸ではレイプ事件が続出した」などとしたり顔して語る場面に出会ったが、「フン、嘘つけ!お前もやりそうだっただけじゃん」と言ってやりたかった…その時は言えなかったが。彼もまた「レイプしてしまう自分かもしれない」という「自己心理の不安」と混乱時のアナーキーな欲望を貼り合わせていたに過ぎない。彼もまた「被災者」に想像逞しくしていたのだ。
●;今、北朝鮮の核実験前後に映し出されるのは、金正日将軍の不逞なダサイ姿と、脱北家族たちの悲惨極まる映像の繰り返し。食卓のテーブル越しに私らは、その映像を見て「悲惨な北朝鮮民衆のイメージ」を作り、怖れる。やがて「隣室」から聞こえてくる「やっちまえ!」と叫ぶ猛々しい声高の声に気持ちを合わせてしまう。