●;気になる言説(1)引用から

●;(安倍政権の所信表明直後)の「朝まで生テレビ」を見る。テレビ等でお馴染みの文化人(学者)や議員さんの発言レベルを推し量る。2チャンネル的な評価に倣えば、枝野幸男民主党)議員、江田議員、村田教授(同志社大)…などは、ロジカルな人との印象。他はさしたる印象なし。
小泉首相の時も茶坊主を務め、安倍政権の応援団を名乗っていた山本一太議員も認めていたように、安倍晋三が「拉致問題」で登場して以来、「毅然たる態度を取った政治家」のイメージを獲得した。どうしょうもなく前近代的金正日国家の仕打ちを拒む国民に一定のアピールをしたのは確か。毅然としている(逞しい)曽我ひとみさん、横田めぐみさんの母たちを筆頭とする拉致家族を(政治的に)手放さないのは、国民の根底にある他国民〜自国民の弱者への悪意を利用するのが政治的に強いと思っているからだ。わが国民は「金正日国家」が「崩壊の惨劇」を待望してもいる。「首相の人気なるもの」とは品格のないわが国民の嗜虐性に裏打ちされている。
●;宮台真司氏「ブログ」からの引用

日本は戦後一貫して「戦後的なもの」を肯定する「左」がナショナリズムを否定し、その反動でナショナリズムが大事だという「右」が「戦後的なもの」を否定する。無意味な価値結合だ。「戦後的なもの」を肯定するナショナリズムこそが必要である。威勢よさげに「戦後的なもの」を否定してみせる「右」は「戦後的なもの」─豊かさであり自由であり─にタダノリする。賢しらにナショナリズムを否定してみせる「左」は、国家─法共同体であり行政官僚制であり─にタダノリする。同程度に愚昧である。
象徴天皇制」とは「戦後的なもの」を肯定するナショナリズムのためにこそある。「戦後的なもの」を肯定する「安全なナショナリズム」を浸透させるためにGHQが採用したのが、天皇裁判や天皇退位を否定して「象徴天皇制」を敷設するという戦略だったからだ。

八木秀次氏らが吹き込んだ?「戦後体制の脱却」というフレーズは、「自虐史観(教科書)批判」「教育基本法改定」→「自主憲法に改定」という動きを作り出そうとし、「落日国家・北朝鮮」を過剰に外敵視してナショナルな感情を組織化しようとしている。まさしく「感情ポリティクス」(@宮台真司)の登場である。