●;松岡正剛「千夜千冊」が本に

●;仲俣暁生氏の「海難記」で松岡正剛氏のWEBサイト「千夜千冊」が書物(求龍堂刊)になっていることを知る。前夜たまたま、枕元にあった松岡氏の『知の編集工学』(朝日新聞社)を寝付くまで拾い読み、そのまま鞄の中へ放り込んでいたのも機縁。氏の「ブログ」も読み進む。

松岡正剛はどちらかというと、紙の書物よりはネット的なハイパーテキストに向いた人で、彼の本を読んでも一度も面白いと思えなかった私が、唯一、松岡正剛という書き手に興味をもてたのが、無謀ともいえる『千夜千冊』の試みだっただけに、最後はやっぱり本ですか、あーあ、という思いは拭いがたい。

「誰が買うの?」「松岡教の信者しか買わないんじゃないの」みたいな文章で(ほんとはもっと深く書いているのだが)、松岡氏の「千夜千冊WEBサイト」が「書物」へ向かってしまうのは、よろしくないなぁ、という感想文。求龍堂の‘ちらし’にコトバ寄せている書店人や文化人も批判していた。‘ちらし’に載っている書店人のコピー、《扇情的な松岡氏の知の戦略》などとはちょっと恥ずかしい。なんでも「知の〜」と付けたがるのは「80年代的」だなぁ。
●;『情報の歴史』(NTT出版)は「引く本」として書棚に置いてある。「とりあえずの参考本」で、さすがという感じあり。ただ、単独の著書となると、読み通すことがなかなか出来ずに放っておく。知識情報量はすごいが、最後まで読むことはない。その忌避感は何だろう。「何かすごく新しいこと言っているんじゃないの」みたいな期待感があって、そんな「頭イイ系(と背伸びしたがる)」がひとまずの読者なんだろうけど、情報量を牛詰めにした圧倒してくる文体の問題もある。氏の思考回路についていけない(こっちの理解力の問題もあるのだが)読み手側の「思考の自由(恣意的自由も含め)」を奪うようなところがある。求龍堂版『千夜千冊』(全七巻+補巻/装幀・十文字美信)」はそんな信者?が「眺めて愛でる本」かなぁ)。