●;車谷長吉『忌中』…大衆社会の諸相

●;車谷長吉氏の短編集『忌中』(文藝春秋・03年刊)を読む。「群像」「文学界」などに掲載されたものを編んだもの。巻末の「忌中」を電車の中で読んでいて、回りの乗客たちのそれぞれの貌を見やる。車谷氏の小説やエッセイは、文学修行中の生活を綴った一連の「私小説的なもの」は一種の青春小説だし、生地の「播磨もの」などは「土地の記憶」の再現。いずれも「文学に執している者の業」が伝わって来て、凡愚な私(ら)を撃つ言葉が迸っていて唸ってしまう。「言葉の放つ力」にだ。車谷氏は「眼の記憶(力)」が強いお方だ。小説読みの友人がいつか「車谷はいいね」と評していたことがある。すぐさま頷き、その友人との「評価するもの」を共有している<同質感>を感じたことがある。
●;「忌中」の主人公は、66歳の貸金業を営む男。病弱の妻を絞殺、死臭匂う家、サラ金から何百万も借り、ヘルスセンターのマッサージ嬢に入れあげて<やけっぱちの死>に向かって墜落していく様を描いている。介護中の夫を老妻が撲殺したとか、とか。日々、巷で(近辺で)起こっている<大衆的な憎悪劇>(の到来)を予言しているかのようなフィクション。<老いた者たちの小さな哀れなコミュニケーション>、<生活を支える経済的なもの>、<サラ金>、<賭け将棋>、<パチンコ>、<爛れたセックス>など、私(ら)が追いやられて蠢く生活の諸相を批評的に描いている。「忌中」に合掌。