●;大衆社会って?

●;小泉首相は「ポピュリストさ」とはいとも簡単に言える。いつか野中広務氏が吐き捨てるように言っていたのを覚えている。氏がどんな意図で言ったのかは分からない。「小選挙区制制度」が政権党や野党の党首の人気が浮動票を牽引し「都市VS地方」の中選挙区政治とは異なる。だが、一国の宰相の理念なき(歴史認識に事欠く)振る舞いを指して「ポピュリズム」と侮蔑的に言っだけで済むのか?
●;気になっていた北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』(NHK出版・05年)を紐解く。「アイロニーの30年史」とカバーに副題っぽく刷り込まれている。若ものたちの右傾化と「2ちゃんねラー」に代表される「皮肉な共同体」(@北田)がベタな愛国心嫌韓・嫌中、嫌朝日などへの反マスコミ主義)と同居しているという指摘は、なにとはなしに分かる。「2ちゃんねる」を覗いたことがあるが、そしたる「右傾化傾向」とは思わず、かといって「若い世代は頼もしい」とも思わなかった。
ただ、既存マスメディアとは異なる言説回路の文体が<名無しさん>たちの発言にある気がした。ネタをベタと読み違えベタな反論をする人に対する嗤いの「混ぜっ返しの速度」に感じ取った。これはインターネットの世俗化(@北田)から起きていると言える。しかも「笑い」ではなく「嗤い」(皮肉な共同体)が。北田が言うシニシズムロマン主義の同居状態が。
●;「まなざしの快楽」のPikarrrさんの論考が参考になった。「再引用する」。

産業ポピュリズムが生み出す政治ポピュリズム 
政治のレベルでは、「秩序」や「権威」などが声高に要求されるようになり、「政治ポピュリズム」の下地がつくられるようになる。「政治ポピュリズム」自体が「産業ポピュリズム」によって準備されている。リビドーはどんどん破壊されるために、資本主義はもはや「欲望」ではなく「衝動」に訴えるようになる。テレビ番組やハリウッド映画は、正義、理想、英雄のような「欲望」に訴えかけるのではなく、性的表現や暴力、さらにリアリティ・ショーのような模倣行動を引き起こすような番組を通して、直接的な「衝動」に訴えかけている。