●;ポピュリズム(2)

●;山本七平『空気の研究』(文春文庫)を読んでいて、この本の「キーワード」になっている《臨在的把握》というのが(今ひとつ)判らないでいた。普段使わない言葉のせいもある。《臨在的〜》を「思いこみ」と解すれば〜という人がいた。助かる。他には今泉大輔氏のわかりやすい書評もあった。
●;思いこみとは<論理を介さない認識>から始まり、<情緒的な理解>で済ませ、ある時は<憑依>し、<他者へ転移>と進むのか。七平氏が《臨在的把握》は「歴史的所産」と言う。(一種の)アニミズム的世界まで遡ると言っているのか。多神教の日本人の認識方法と一神教世界(=西欧)との違いを展開しているのだが。なんでも相対化してかかる一神教世界と、いとも簡単に対象を<絶対化>してしまう、つまり<雰囲気でわかってしまう>性質が、日本人固有にあるものなのか。こういう比較文明論でされてしまうのには、抵抗があるが。
●;小泉劇場については、茶飲み話レベルでよく囁かれていた。テレビの過剰/リフレイン放送についても、ネット若ものの小泉支持を批判する声も聞いた。かくて知らず知らずのうちにポピュリズムの代表選手になってしまった人気者の宰相は(時に最高権力者の貌をちらつかせ)、靖国参拝に至るまで無論理で情緒的であったが、人々は‘空気のように’その存在を認めてしまっている。宮崎学氏の「プログ」で、辺見庸『いまここに在ることの恥』(毎日新聞社)の「あとがき」を引用して。

政治権力とメディアが合作したこの劇場の空気とは何だろうか。第一に、わかりやすいイメージや情緒が、迂遠ではあるけれど大切な論理を排除し、現在の出来事が記憶すべき過去(歴史)を塗りかえてしまうこと。第二に、あざとい政治劇を観る群衆から分析的思考を奪い、歓呼の声や嘲笑を伝染させて、劇を喜ばない者たちにはシニシズムを蔓延させたことであろう。<<