●;ポピュリズム(1)

●;田原総一郎が吠えたことに因果関係があるのかわからないが、06/08/28の朝日新聞「コラム」で論説主幹・若宮啓文氏が「足元の右翼テロと闘わなくてよいのだろうか」と小泉首相や安倍長官らの加藤紘一邸事件への「沈黙ぶり」を批判していた。「よもや、この沈黙に意図があるとは思わない」(と、何かしら思わせぶりであるが)。さっそくかしらんが、ぶら下がり記者会見で首相は、これまでの沈黙を破って「暴力はいかん!」と初言及(追随するかのように安倍長官も)したとか。このあたりの報道管理ぐあいはよく知らないし、憶測する気も起きない。ただ、若宮氏の「コラム」が見舞いの電話もかけない<冷たい人・小泉首相>というイメージは伝わる。そのすぐさまの反応が「記者会見」であったとは、げすの勘ぐりか。旧くはレーガン大統領の一挙手一頭足(=身振り)もそうだったが、ポピュリズムとは「演出する政治」なのだろう。
●;山本七平『空気の研究』によると「空気支配」は、近代化進行期の昭和期に猛威を振るいだした、とある。大正時代から続く「大衆社会」の登場からである。日本が15年戦争過程の日支事変の時の「不拡大方針」を唱えた近衛文麿も、国際連盟脱退時の松岡洋右外相もポピュリズム政治家だったいえる。つまり、大見得を斬ることに執心する。