●;「人」と会う(1)

●;先週〜今週、いろんな人と会う。いずれも「企画(めいた話)」。こっちが考えたものを揉んでもらったケース。ま、コンセプト樹立以前のブレスト。相手が長年温めていた「企画の実現可能性の相談」も。「やれるかな」と瞬間に思った程度の話も(知り合いの専門家にその可能性をやんわりと否定された。素人の発案だなぁ、ナルホド。)。ただ、しばらく会っていない「あの人」に会えば(もしかして)別の展開もあるかな(と甘い計算)。友人が拾ってきたネタの膨らましかたについて。これは自分の力では出来そうにもない。友人の会社に振ることにする。
既存のメディアの「不満・不備の手直し案」も…これはそうは問屋が降ろさないであろう(難問だなぁ、やるかぁ)…相当に戦闘的にならないとダメ。
ある編集氏の「再就職コンサルティング」(というほどのものではなく、話相手になっただけ)。「文化資本としての《人脈》」というコトバを想起する。
●;新卒〜の職種志望に「(いわゆる)3K」があると(改めて)知る。「企画」「広報」「国際」の「K」だそうだ。華やかに見える?職種なのかな。それぞれがとてつもなくしんどい連続仕事だぜ。「相談される」こと、「相談すること」は「企画的なものの」実現に向かう前提だ。(ただ、自惚れちゃいけない、よ)。
●;内田樹氏の「ブログ」からの引用

人間の社会的能力は「自分が強者として特権を享受するため」に利己的に開発し利用するものではなく、「異邦人、寡婦、孤児をわが幕屋のうちに招き入れるために」、その成果をひとびとと分かち合うために天から賦与されたものだ。そう考えることのできる人間たちによって、もう一度破壊された「中間的共同体」を再構築すること。

「中間的共同体」というコトバに惹かれる。「企画的なもの」を実現していくプロセスでは、この「中間的共同体意識」が生まれないと、ダメ。