●;逃げた男もいるが、逃げた女も

●;大正末の犯罪事件史の一齣に山中を逃げまわった男の捕り物騒ぎに「鬼熊事件」がある。情婦の間男を殺害して山中を43日間逃げ回った鬼熊。この事件を知ったのは近くのそば屋などに置いてあった世界画報社のグラフ誌「日本近現代史」などだ。傲岸不敵な新撰組近藤勇の肖像写真と同席するこの「グラフ誌」は、本らしきもの一冊もなかった我が家にもなぜか置いてあって、この「歴史グラフ誌」の「作られ方」(=編集のしかた)、「読まれ方」(=受容度)、「販売のされ方」(=読者へのリーチ度)などその盛衰について誰かが対象化してくれればと思う。「編集会議」で戦前〜戦後雑誌の一齣を桑原涼氏(エディター)が連載していて貴重な発掘(史)になっているが、「アサヒグラフ」「毎日グラフ」などのフォトジャーナリズ(=現在的写真)とは異なり、普通の家庭に入り込んだ<近・現代史グラフィティ>を検証して欲しいものだ。「歴史は事件なり」とモノクロ写真で構成された「近・現代史」をおどろおどろしさで括った(=編集視点)は戦前メディアの特性を物語っている。主にモノクロ写真と(強調される)「白抜き見だし」で印象づけられたわのだが、その当時の新聞のディスクールを評価してほしい。
●;「鬼熊」というネーミング。悪辣な目を背けるような事件をしでかした男女をととらえて、「魔性の女」などと週刊誌〜夕刊紙、スポーツ紙などの俗情に訴える大衆メデイアは、今も同じような比喩を使う。大正末の人々のデカダンな気分は、殺人行為に対する指弾よりも彼の「純情」に相応する。続いて昭和11年の「阿部定」事件、その妖艶な姿を写真で見ながらも、<帝都を騒がせたスター>の逃亡劇を人々は追いかけた。「グラフ誌」で知った二人の純情な犯罪者のもてはやされかたは、整形して全国を逃げ回った平成の福田和子の比ではない。