●;《逃げる男》

●;クラウチ氏の《逃げる》おススメ本は『逃げる兵 高射砲は見てた』(渡辺央憲・文芸社)。(古処誠二(こどころ・せいじ)『遮断』(新潮社)は、当方の誤認、失礼)。
●;同氏のコメントに浅田彰『逃走論』(ちくま文庫)というのもありましたね、と。確かにこの本は存在していた。『構造と力』(剄草書房)がベストセラー(人文書で10万部?)になり、「ニユーアカブーム」ともてはやされた頃に(いち早く)出された本だが、浅田氏にとっても格別、新しい本ではない。
●;《何から逃げたのか》が問題だ。頸(くびき)からである。彼の頭(精神)と胴(肉体)の間に一本横木を通して轍に繋げる。軍隊であれ警察であれ<暴力装置の側>は、首枷をはめ牛馬に対するごとく鞭を叩き、一定の方向に走らせる。「彼の精神」は「逃げること」に向かう。断固たる拒否である。「安政の大獄」の高野長英は、幕府側に「洋学」が危険視されて捕縛されて小伝馬町の牢へ。脱獄して逃げる。とことん、逃げる。狷介な長英の妄執が「いい」。また、鶴見俊輔に『高野長英』(朝日選書)がある。長英をかくまう「蘭学者のネットワーク」とベ平連の「アメリカ脱走兵支援ネットワーク」がダブったのだろう。
●;《逃げる〜》がタイトル(またはテーマ)の本を収集しているブログに「私はどこに立っているのか」があった。挙げられている本は(全くといっていいほど読んでいないが)、自分となにがしか通ずるものを感じさせる「本」を手に取ってしまうことがある。(気分も含めて)「同質的なるもの」への接近である。逆に「自分と合わない」と思ってしまうものは、回りの評判がよくてもなかなか手にすることがない。