●;逃げた男列伝

●;吉村昭の『長英逃亡』(新潮文庫)に心惹かれた訳ではないが、歴史上《逃げた男》に関心が赴く。《逃げる》は、日常生活でもごく否定的に卑怯といったマイナスのニュアンスで使われる。唄の文句ではないが「今日でお別れね」と女に言われそうになった場合は「あんた、逃げたのね」とも侮蔑的にあしらわれたこともある。戦史上の《逃げた》敗軍の将には、後代まで根深く否定的なイメージがつきまとう。「将」と「兵」は違う。「兵」には《「危険な毒」から、さっさと逃げたのがいい》と言いたいし、「将」には《お前、逃げやがって!》と、陰で罵るパラドックス。その典型的な例として、鳥羽伏見の戦いで戦況不利と見て大阪城から江戸へ「逃げた」(と見られてもしょうがない)徳川慶喜は「逃亡した将」の代表例であろう。この人の戦線離脱と指揮権放棄は(幕末の政治課程をうっすらとしかわからないのだが)。
●;一方で「兵」の長い逃亡には喝采を送る。井上孝治秩父事件』(中公新書)に出て来る北海道まで逃げて「秩父事件」のリーダーであることを死ぬまで家族に明かさなかった井上伝蔵などは、その逆だ。「将たる者の責任」と「兵たる者の勝手」の違い。井上伝蔵の一生は、名誉に値する。《逃げろ!逃げろ! とことん、逃げろ!》である。だが、史上もっとも愚策の軍事作戦、インパールを指導した牟田口廉也中将や、2・26事件の際の真崎甚三郎大将などは《逃げた男》として末代まで叩かれてもしょうがない。
●;変革の時には、予言する思想家と行動する志士と「政治的にまとめる人」の三者が揃わないとうまく行かないという説が俗耳に入りやすい。維新の際には、吉田松陰横井小楠や、佐久間象山ら先行する「思想家」で坂本龍馬高杉晋作らが「行動家」で、彼らの屍を踏んで成し遂げたのが西郷や大久保利通らの「政治家」。
ちょっとした企業も同じ。「思想家」になり得ない商品開発部長は「×」であり、果敢でない営業部長は「行動家」ではなく、まとめることが出来ない「政治家」はボンクラ社長、どちらにもなり得なかった器量の「弱兵」の私らは、せいぜいが「将の責任」をあげつらうだけである。
●;「ロートムービー」は《逃げる男》を描く。「イージー・ライダー」の彼らは《逃げて、追いつめられ、ただの「兵」として死ぬ》。ラストシーンの唐突な死こそ、「兵」の宿命といえよう。