●;昭和天皇(3)

●;昭和天皇について関心が生まれたのは、玉音放送の中の一句、「五内に裂く」にある。

朕は帝国と共に、終始東亜の開放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるを得ず。帝国臣民に>して、戦陣に死し、職域に殉じ、非命にたおれたる者、及びその遺族に想いを致せば、五内(ごだい)為に裂く。かつ、戦傷を負い、災禍を蒙り、家業を失いたる者の厚生に至りては、朕の深く軫念>(しんねん)する所なり。

臣民に対して想いを致せば〜とあるから、死者に(天皇が言う帝国臣民)に我が身が裂けるほどの痛み…と読んだ。が、ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』(岩波書店)ほか、多少の本を読むと、当の天皇は、皇統が絶えることをひたすら怖れ(三種の神器など)が連合軍から奪われ天皇家の存続に最大の関心と執着があったように思える。いささか失礼かつ乱暴な言葉を使えば「なーんだ。お家が大事だったのね」である。
●;ロラン・バルト『神話作用』(現代思潮社)のコトバを借りれば、《(現代の)「神話」としての昭和天皇は、その歴史を自然に移行させた》のである。人々が腑に落ちた感じさせるものとして在った、と言える。戦後過程で「天皇退位論のような気配」が何度か生まれたが、股肱の臣のような人々(例えば、吉田茂)が現れ、消えては現れて救っている。折々の政治判断はなかなかの人とは言えるし、昭和天皇の個体史は(また別に)興味が沸かぬでもないが、薩長ら下級武士の志士たちが、幼き明治天皇を彼らの維新革命の駒(=「玉」と言ったようだ)として扱い、父権主義的な立憲君主制を形づくったことは知られているが、天皇を冠しての維新(革命)の気運が歴史の裂け目には必ずといっていいほど、起こる。北一輝もそうである。