●;昭和天皇(2)

●;「昭和天皇」にとりたて格別の感情はない。反発心もなければ、ひれ伏すような思いもない。戦後、戦前のような「視覚的支配」「時間的支配」の波を学校現場や地域で洗礼を受けなかったせいもある。旗日に「日の丸」など掲げるとか、天皇家の肖像写真を飾ったこともない家、家長の父親も父権的な振る舞いをすることもなく、やっとこさ上り詰めた元下級将校が「公職追放」後の果ては、喰うのがせい一杯。天皇に一体化する気持ちなかったのだろう。
戦後、「悔恨の共同体」(もっとうまくやれたはずという意味…「一億総懺悔」は瞬時に消えてしまったけど)であった戦後課程は、「無念の共同体」というナショナリズムにも点火せず、高度産業社会へなだれ込んでいく。「食うこと」が人々のもっともな関心事だった。
●;じゃあなぜ、「昭和天皇」に興味が沸いたかと言えば、2.26事件を頂点とする「昭和維新運動」が昭和天皇に事寄せたことを知ったからであり、そのラディカリズムに同調する時代にいたからである。
この時点の軍人たちもまた、昭和天皇を「玉」と捉えて維新革命を動かそうとしたことに興味が沸く。(書名がちょっと浮薄な感じがするけれども)松本健一丸山真男伝説』(河出書房新社)の中で丸山の橋川文三についての述懐があった。「橋川は全共闘の連中にも糾弾されていないんだよね」と。橋川の『超国家主義』(筑摩書房)の解説だったか「日本の超国家主義の諸相」といった論文は、丸山真男の「超国家主義」の分析とは違うものに共鳴する若い世代の側の「共鳴板」が鳴ったのだろう、とは松本健一の解釈だが、頷けるものがある。