●;『下流社会』を巡って(2)

●;別に読書会(オー、大嫌い!)をやった訳ではないが『下流社会』という本について少しばかり議論をしたが、議論する前後にこの本に言及する声を聞いた。ある人は「なんかこの本を読みたくなかった」という声であり、もう一つは「トランス・ビュー」が発行元の「いける本・いけない本」という小冊子で幾人かの編集者たちが「いけない本」の例としてこの本を挙げていた。冊子のタイトルは正しくは「いけてる本・いけてない本」とすべきだと思うのだが(それはさておき)その批判は「分類」よりも「なぜ、下流化かの分析」をと言っている。
●;「読みたくない本」という声も聞いた。彼は、下層化社会化の進行している現実に否定的ではなく、むしろ彼自身が「下層化」「上層化」といった階層に簡単に分類されることを嫌っているように思えた。
●;この本の流行の下敷きは、(全て読んだ訳ではないが)苅谷剛彦『階層化日本と教育危機…不平等再生産から意欲格差社会インセンティブ・デバイド』(有信堂高文社)、山田昌広『希望格差社会…「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』(筑摩書房)と連なり、『下流社会』の登場とあいまって『格差社会』というコトバが独り歩きしている。左右の政治家も広言し始めている。
●;昨年の総選挙直前に民主党がズッコケるといった予想集会のようなものに誘われて出たことがある。宮崎学らのご一統(今の講談社サイト「直言」のメンバーとダブっている)たちが壇上で発言していた。岡田民主党の時機を捉えていないキャッチコピーの時勢とのズレ、そぐわなさに「?」を抱いていたが、案の定の結果を招来した。「左翼的な人々」は、投票に赴いたと言われる「下流の人々」にヘタレ右翼(宮台真司)というレッテルを浴びせたが、なーに、「改革の中味は?後始末は?」と問えば良かったたけである。