●;含羞について(1)

●;山折哲雄氏の本は『美空ひばりと日本人』(PHP文庫)だったと思う(文庫版は絶版か。増補版が現代書館から出版されている)。この本は(確か)日本人と韓国人の「含羞」の差について書かれていた部分があったと思う。なぜ、この本に近づいたのかも忘れてしまったが、低音な動機としては美空ひばり没直後の美空ブーム(一斉に彼女を「世紀の歌姫」と讃えていた)が起こっていたが、その何年か前は、「女王ひばり一家」の振る舞いに眉をひそめていたのに、手のひらを返すように褒めそびやす日本人の心性ってなんだろう、と思っていたのが動機かな。成功した芸能人の奢り高ぶる様を発見した(私ら)大衆は、ここかしこでこき下ろす。「神」として支持していたはずの彼(ら)が「精神の高貴さ」の方に向かわずに、私(ら)と同じかそれ以下の振る舞いを示すと、鏡にに映る己の姿を見て自己嫌悪するようにだ。ヤクザな弟や後家のがんばり的な気丈な母親たちの「ひばり一家」の姿は、私ら家族の姿と生き写しであるが故に嫌われた。が、弟や母親たち身近の家族を失ってしまったひばりが、私らと同じ地線に降りてきたとなると「許す」。
●;権力者に対する倒錯的な心性を「含羞」と山折は言い、日本人には「ある」が、韓国人には「ない」…と言っていたような気がする。比較文化論ほどのものではなく、多作な著述家らしいエッセイだったと思う。
●;人から教えられたのだが、江川紹子氏のサイトにこんな記述があった。

いやはや、すごいブーイングの嵐でした。これまで音楽会やオペラで、こんな激しく長いブーイングは、聞いたことがありません。しかも、このブーイングがあったのは、公演が始まる前のこと。サントリーホールのホールオペラ「トゥーランドット」の初日、通路やロビーに眼光鋭く、耳にイヤホンをさした背広姿の男性が何人もうろうろしており、誰か要人が来る気配。聞いてみると、「首相が来られます」とのこと。で、開幕直線、2階席の最前列に小泉さんが現れたのですが、なんと荒川静香選手を伴っていました。その姿が見えた途端、すさまじいブーイングが起きたのでした。(ブーイングで始まりブラヴォーで終わったトゥーランドット」06年04月4日)

●;荒川静香選手を伴って会場に現れた小泉首相のシーンをテレビ等で見た。自民党広報かナントカ秘書官かの演出だろうが「また、時の人に便乗のパフォーマンスかよ」と嗤ってしまったが、会場のブーイングを伝えないマスコミを非難してもしょうがない。マスコミは制度の中の「機関」だから。含羞を忘れた権力者は滅びる。含羞の反対は倨傲である。千葉7区に小泉チュレドレンを動員した戦術を用いた自民党議席を取ることはない。