●;戦後意識について(1)

●;戦争直後の国民の意識について若干の「認識の差」を仄聞する。60年安保闘争を支えたものに、敗戦後の国民の「非戦意識」があったという説がある。そうでなければ、あんなに広範な大衆運動はおこらなかったという説に繋がる。当時の独立左翼らの「功」を国民の「非戦意識」への回路を見つけようという説である。「ホントかいな?」と思わないではない。「朕はたらふく食っておる。汝、臣民の腹満たせ!」といったむしろ旗を掲げた「米寄こせ運動」が共産党らの指導で皇居を十重二十重に囲んだという写真を「見た」ことがあるが、それは「非戦意識」ではなく「飢えの恐怖」が確実に「在った」例だと思っている。戦後まもなくの「層としての学生運動」(武井昭夫ら指導の)も「広範な国民の非戦意識」に下支えされた大衆運動だったと結論づけられると「嘘つけ」という気がしないでもない。戦争直後の父母たちの言動もついぞ見たことはないし、1945年当時「少国民」であったから「非戦意識があった」という反論は出来ない。わずかに伝聞しているのは、挑戦戦争当時の連合軍対共産主義軍の侵攻具合を人ごとのように「新聞」などを見やっていた自分ら家族の(わずかな記憶がある)心象風景を根拠にすれば「メシの飢え」という「生活の事実性」(宮台真司のコトバ)が人々の最大関心事だったのである。
●;宮台とカンサンジュンの対談本『挑発する知』(双風舎)を紐解いていたら、
「本当は戦争は勝てたはずだという敗戦直後の民衆意識」という記述があった。
丸山真男は「近代の徹底がなかったらこそ、戦争に負けたのだ」という思いを強く抱いた」と。

日本の場合、戦後の反省は、アジアに対する加害意識から始まったのでもないし、原爆の悲劇を恨む被害意識から始まったのでもありません。なぜ、勝てる戦争に、総力戦を結集できずに負けたのかというところから、人々は戦後の反省を出発させた。

とある。丸山真男南原繁竹内好も「近代文学」の人々もそうだったというのが宮台説である。「戦後の反省」というのがキーワードになっている。丸山真男福沢諭吉の「一身独立」して、一国独立」を「近代の徹底」を説いた啓蒙家としての印象がある。彼がモデルにしたフランス市民革命での「主体形成」に根拠を置いたのだが、馴染めなかったのは欧米の民主主義体制(=主体的な市民が中心の)への賛歌にしか聞こえなかったのである。「主体ねぇ」というのが当時の私らの冷ややかな感想であった。