団塊、二人の死…(4)

●;地下鉄の車中で「M」が(一時)所属していた管理職ユニオンの設楽清嗣書記長を見かける。(相手は覚えていないだろうけど)「貌覚え」はいい方なので、つい声をかけた。役者にしてもいい貌の持ち主である。タフなネゴシェイターという感じ。獲物を襲う動物のような眼光、鋭い。「Mさんが死んだこと知ってますか?」と。「いや、知らない」とビックリしていた。名刺をくれて「後で教えてくれ」と言われた。後で気が付いたのだが、何人かの連れが腕章を巻いていた。抗議運動かデモに行くのであろうか。「管理職ユニオン」を作ったのは設楽氏らだが「M」もどこぞやの会社でリストラされた時に駆け込んだらしい。ちょっとした好奇心があったので「M」に連れられて西新宿の事務所を訪ねたことがある。ここで「M」の触れた体験が「サラリーマン生態論」=「社畜論」になっている。90年代〜、リストラに見舞われた中間管理職サラリーマン氏らが「会社的なるもの」になかなか叛乱出来なかった実相を、よく見たらしい。飼われた子羊のような人々だったという。
●;土曜日、設楽氏の組合事務所宛にFAXを入れた。お通夜に行った際に受け取った「会葬御礼のハガキ」のコピーと、「M」と私の(若干の)関係を綴った文を添えた。その「ワープロ文」には<忘れがたい男>だった、と記した。<忘れがたい男>というのは本当だ。年下だったから少しばかりその幼さをたしなめたりしたことはあっても、教えられたことも多かった。特に、フツーの企業で働いた男たちの宿阿ともいうべきサラリーマン的病についてだ。「へぇー、そうなんだ」という話もあった。「M」が「自立」というコトバに拘る理由も半ば納得した。吉本隆明が唱えた「自立(主義)」とは違うが、企業内権力に似せた「己」を捨て去るといった意味で「精神的に自立」と「M」は使っていたが。