団塊、二人の死…(1)

●;知り合いの男二人が亡くなった。正確な病名は知らないが、二人とも本田美奈子と同じ病であった。団塊世代というだけで二人に繋がるものはない。学校も違うし働いていたところも違う。当然、職種も違う。私とはなにがしかの縁があったその男たちに共通するものを強いて挙げるとすれば、<不満分子>であったところか。
俺はこんなもんじゃない」と不遇をかこつところが濃厚にあった。そういった不全感は(とりわけ若い時には)誰にでも「ある」。二人とも「才ある自分」を「評価」してくれない回りに対する苛立ちが強かった。私は聞き役に回っていたが、いつか「企画モノめいたもの」を一緒にしたのが強い記憶として「ある」。彼らの失意とこちらの鬱勃たる気分がないまぜの「企画モノ」だったが、彼らのいくばくかの「名」を上げさせるのに益したといえなくもないが、その「功的なもの」は彼らのものとして捧げよう。
●;「Hの骨を拾って来ましたよ」と、道端ですれ違いざまに言われた。同じ大学で同じ学科にいた(もっとも親しい)「K」くんにである。二月の始め頃、夕闇が降りてくる路地だった。
「えっ!」。そのつもりはなかったろうが、私の非情さを難じているようにも思えた。「H」くんは、私の知らない間に死んでいったが、私の不作為の<冷たさ>を頭のどこかで遺して逝ったかと思うと、コトバが出なかった。
「H」には、何年か前、お茶の水橋際で偶然会った。背丈が縮んでいた。体にめりこんでいる首が目立った。元々大きい人ではなかったが、短躯という表現が似つかわしかった。その縮み具合の異様さに彼が背負った病の<訳のわからなさ>を感じとった。身体の変化にたじろぎ、交わすコトバもぎこちなく、「元気でね」程度の素っ気ない立ち話で別れた。しばらくして元の勤め先である書店に復帰したのを知って、ヒョイと会いに行ったりしたが、こっちの多忙さもあって、足が遠のいていた。「店を休んでいるらしい」という話は聞こえていたが、会ったり、手紙を出すような努力もしないでいた。ほったらかしでいた。