場所(4)…国家の土地;(2)

●;昔の(年下の)同僚に電車の中で会う。高級男性誌の創刊に忙殺されているのをうっすらと知っていたから「どう?」と、別にいたわる訳ではないが問いかける。「広告の世界って、今、パブリィなんですよ」と応えが。しばらくの間、そういった世界に遠のいていたので、久しぶりに「パブリィ」というコトバを聞いた感じがする。広告の世界では、私なんぞ逆立ちしても及びがつかない豪腕の持ち主のコトバだから「バブリィ」はホントなのだろう。
●;鈴木博之『東京の[地霊]』(文春文庫)を噛みしめつつ再読した理由の一つに「パブリィなんですよ」と、当然のように言い放った彼のコトバから受けた感じ、つまりいくばくかの受感と、何日か前に新聞で知らされた都心の「国家公務員宿舎の払い下げ」の記事がオーバーラップしたからだ。「小さい政府」「民営化」「規制緩和」というのが政府側の言い草、ロジックである。中曽根政権も「国鉄の民営化」を果たしたけれど、その時の「国民の敵」は上尾暴動に象徴されるような国労動労に対する「国民の側」からの敵意の組織化であった。
そして、現在の「国民の敵」、怨嗟の的は「公務員」である。そして都心の「公務員宿舎」の払い下げは、新旧のデベロッパーたちの手に落ち、それをとりまく周辺の不動産業者が冊束を鷲掴みするには、株よりも「単純な儲けが〜ある」と投資を煽る。払い下げ第一号が静寛宮邸、「その次」のパブリィな土地高騰の引き金になった土地が司法研修所跡地と、鈴木博之氏の本に教えられた。
●;「国家の(不幸な)土地」は、時の国家の都合で払い下げされる。明治年間、金、銀、銅を産出するヤマが三井、三菱、住友、古河ら政商に払い下げされ、彼らの財閥化の基礎をなしたように<都心の土地>の放出が新しい富を産む。<都心>がキーワード。<都心>は再開発され、新しい商業空間がデザインされ、その動きに合わせるように人はカネを運んで進む。その払い下げにスキャンダルが伴う「闇の野合」があるのかどうかは知らない。判らない。ただ、鈴木博之も言っているように、国家にとって不必要とされる土地は、国家のご都合で土地の記憶を消し去る。
「不運な土地」というものがあるのだ…と彼は書いている。その「不運」がバブリィの震源地なのだ。今は、都心の国家公務員宿舎が槍玉にあがり、たまたまチョンボしたドジ公務員が標的になり、大衆の怨嗟が政治的に組織化される。優秀な公務員は、いつの時代でも「いる」のだが、首を出すのを怖れて甲羅に閉じこもってしまうのは、やってほしくない。使命を忘れて「省益」だの「自分益」だのとダサイものを優先してしまったら、この世は終わりに向かっていく。