通俗用語辞典(4)…生涯現役

●;生涯現役…使う人によってはなんともイヤなコトバである。私が時折道ばたで挨拶する近所の「毛糸屋」の奥さんをお嫁に来た時から知っているが、「オイラ、ずっと働かなくっちゃ、生きていけないのよ」などとは口には出さないが素振りで彼女の「生活」が映し出されている。彼女がそんな気持ちを呟くのは「いい」。正しい。
仕事を欲しがる企業OBであたかも理念のように語るのを耳にすると「ゲッ」。「生涯現役」とは気恥ずかしいコトバである。「もっと、食べたい」とか(諸般の事情あって)「稼がなくっちゃ」とでも言えばいいのに、それをスローガンにしている組織なぞを見かけると「オイオイ、何を勘違いしているんだ」と言いたくなる。ホンネをベースにキャッチコピーにする時は、飛躍が要求される。そう「命がけの飛躍」である。
●;「生涯〜」というコトバが流行ったのは、野村克也選手が南海〜西武〜ロッテと渡り歩いた姿を(当人が言ったかどうか定かではしないが)「生涯一捕手」というコトバが生まれた。それを安っぽく(安易に)もじって導入して「生涯現役」と言っているに過ぎないと思うのだが、実に寒々とする。出喰わすと「ゲッ!」となる。
40歳になるまでキャッチャーの座に野村がしがみついたのは「生活の欲望」のためである。西武でもロッテでもキャッチャーとして使い物にならなかった。プロ野球業界の現実である。ただ、その業界で生活していくために野村が自己演出をしたのだろうが、それが理念的な匂いで語られると反吐が出る。「欲望」がある事自体は否定しない。どんなに年老いても「(生活の)欲望」は起こる。まして、現代(消費)資本主義は「老いる」ことを許さない。消費社会は「欲望」を喚起させる…そのまっただ中に「いる」ことを余儀なくさせられているだけに過ぎない。嫌われたかどうかは別にして諸々の事情を抱えた家族共同体から「いる」ことを許されない者は、姥捨て山(今は老人ホームだが)に行かざるを得ない。まして肉体としては「生きて」はいても脳化が遅れた人は、だ。
●;「年寄りとしてがんばっている」と言うのは傍目からである。外側の人々の現在的な「評価」しかしない。《面白い》とか《スゴい》とか《チャーミング》だとかであって「年寄りでも〜現役生活したいのよ」という露骨な迫り方を匂わせるこのコトバは、相手に同情?を引き出させて、あげくの果てに「お仕事、ちょうだい」と手を出そうとする。もっとも笑えない。