●;06年の年賀状から

●;年々、年賀状の枚数が減っている。近親者が亡くなって「欠礼」の挨拶状も増えてきた(それぞれの家族の平安を祈るのみ)。枚数が減ったの当たり前だよ。社会的活動の減少に比例しているのさ。「社会的存在ではない!」と(世間から)言われているのかも、なーんて、ひかれ者の小唄を唄ってもしょうがない。ここは<明るいニヒリズム>で行くしかない。
気ぜわしさも手伝って年賀状を書く暇がなかったこともある。「忙しい」って(嘘言え!)。それにしては深夜テレビを結構見ていたじゃん。真鍋かおり、若槻千夏といったところ(青木さやかも、まぁ、いい)を。「真鍋のプログ」を読んだことがあるが、アッケラカンとした田舎の男女共学っぽい高校生がそのまんま。タメ口を聞く若槻千夏もいい。エライ人にも街のおばちゃんにも同じように接しているような「気」がある。好感が持てる「隣のお姉ちゃん」のフラットな感じ、気軽に声をかけられそう(実際はとんでもない女だったりして…それも愉しい)。
暮の「オールナイト・ニッポンTV」(フジTV)に出たユーミンにも好印象を受けた。ラジオのトーク番組で相手の話を聞き出す角度に「へぇー」と感心したことがあるが、テレビでも年若のタレント相手にユーミンっぽい話し方(つまり面白がりかた)に終始していた。《面白がりかたに秀でた人間》には尊敬することを厭わない。NHK-TVで「向田邦子ドラマ」を分析していた太田光もその一人。同席していた村松友視の「視点の凡庸さ」に比べればである。
●;ほとんどの年賀状は「お元気ですかぁ?」で始まって終わる。が、<心の動き>、決して明るいばかりではない<精神の輝き>を感じさせるフレーズがいくつかあった。
《新ネタを仕入れるよりは収束しなければという思いを》…まじめ、だなぁ。
《大アジアのことでも考えようか》…ウン、大風呂織大人らしい。
《老成するのもなかなか難しいなと思います》…エッ!そんな呟きを。
《ただ突っ走ってきた人生、どう着地していいかさっぱりわかりません》…何を言うとんじゃ。
《二つ三つ天命我に潜むらし蝉の土中に肥ゆるが如し》…「気宇の人」らしい。
《手術の術者をしているとプロペラ戦闘機乗りか、映画「Uボート」の艦長の気持ちが判るような気がします》…ストイシズムに向かっているのかい。
《こんな時代でも元気でやっておられると思わせるものをお持ちですね》…ヨイショされる。演じているだけなのに、さ。