●;『言論統制』を読む(3)

●;佐藤卓己言論統制…情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』(中公新書・04刊)をもう一度、付箋を付けたりして読み直す。「出版界のヒムラー」(美作太郎)と呼ばれた鈴木庫三少佐に肩入れする気はないが、ぼやっとしたままつい口ずさんでしまう<通念>とやらを疑ってみたい。日清・日露戦争後、日本陸海軍の教育は仏英を模範として軍の精神を失い、「天皇教」的非合理的な精神主義に覆われたという通念的理解がある。余りにも通俗的でカッタるく、途中で読むのを放棄した司馬遼太郎坂の上の雲』がその典型だが、橋川文三らも含めておしなべて「明治の精神」を称揚する人が多い。「60年の挫折」以降、明治維新を「未完の革命」と捉えた竹内好村上一郎らも同じ文脈にあり、その情念的な文体にいかれたことは否定しないが、連綿として続く西郷贔屓も含めて「明治」に対する恋慕、ロマンチシズムであろう。橋川文三の晩年近いエッセイに『西郷隆盛紀行』(朝日選書)があるが、日本浪漫派に影響を受けた竹内、橋川らが「昭和維新」を叫んだ2.26事件の青年将校らの叛乱精神にコミットする気分に陥っていたのだろう。三島由紀夫もそうだが、彼らは総じて天皇「親政」主義(者)といってもいい。

近代の規律=訓練システムにおいて「軍隊-工場-教室」が同一パラダイム上に存在していたこと、ミシェル・フーコー以降の今日では常識に属する(佐藤卓己

に従えば、近代国民国家は「軍隊-企業-学校」の一貫した「規律の制度化」を基盤にする。鈴木庫三少佐が「教育将校」を目指したのは、陸大卒でなければ軍の上層に行けないと分かっての「選択」だったが、彼が「軍隊教育」に執したのは永田鉄山(後に斬殺された軍務局長)が描いた国家ビジョン「国防国家論」である。『言論統制』によれば、橋本欣五郎中佐らの「桜会」や2.26事件の(農村的ハビトゥスの)青年将校らに接触したことはあっても、若い彼らの理想主義とは馴染まず「国防国家論」に依拠して突き進む。