●;『創造力の掟』という本(3)

●;『創造力の掟』の(私の)使い方は多様である。身勝手である。著者のコトバだが「対応型読書」である。身を正す際に「箴言集」的に使う時もあるし(!)、(企画出しの戦術指南書ではないにもかかわらず)どこぞやの会社や属している組織内部に向かって「企画提案」する一歩手前で紐解く。「何か」が不足していると感じた時だ。企画そのものに迫力がない時にだ。
著者の「コトバ」を盗む(=言い換える)時もある。ある場所で喋った人の「コトバ」がやけに気になったりことがある。また、相手に気に入られようとしてけっこうなキーワード的なコトバを紡ぎ出していると思っていても喋っているうちに「根拠ねぇな」と寒々とする自分を感じた時にだ。はしたない自分に「反省を促す」面と、「(企画力の)貧困」ぶりをむざむざと知らされて「自己回復する」時などにページを開く(ことがある)。
●;ある新聞社主催の「フォーラム」に出掛けた。「シニアワーク」(=定年前後の人々の働き方)の提示をする催し。協賛会社が主催するワークショップを覗いた。会場を見渡すと3人ほど見知った人がいた(そのウチの一人は病気を伝えられていた人で思わぬ場所で出会った。彼も団塊世代である)。おしなべて白髪交じりの男100人以上がじっと黙って始まりを待っている。当たり前だが、開演前の劇場でさざ波が立つような華やぎはない。「定年」というしろものが、もろもろの不安を彼の身体に押し寄せる。世にある「団塊世代論」めいたものに「世代論的な分析」はあってもさして魅力がないのは、この<不安>の解析に何かが不足している。
当方は「どんなものかいな」といった冷やかし的気分での出席。小講演がありその次にパネルディスカッションがあった。登壇者は4人、うち一人は女性(この人はなかなか小気味よい人であった)という構成。59歳の専門商社出身の人が面白かった。ゆっくりとした語り口に説得力があった。聴衆の反応もそんな感じだった。つい、この人の<面白さ>はなんだろうと考えた。話芸のうまい人によくあるクサイ演技は何一つない。ウケ狙いのダサい人生訓めいた話が続いた訳ではない。商社を辞めて人材派遣会社の営業に転じた彼は、「営業」の場面を語りつつ、自分のテーマは「コミュニケーション能力の開発だ」みたいなことを言った。うむ、なかなか「面白い人」だなと思った。現実に対する抽象化能力がある。俄然、彼に好意を持つ(この人には街で出会っても声をかけてしまうかもしれないなどと想像した)。そんな魅力があった。
●;『創造力の掟』の「好奇心の開発」という箇所で、
>>《本当に面白いものとは、その底に「知」がある。知が縦横無尽に交差する、その速度と厚みの中にある》<<というフレーズがある。そう。この日喋った彼には「知の存在」であった。彼固有の(ここが大事)ナレッジがだ。本当に「面白い」と感じさせる人は、関心を惹こうとする誘いの演技をしない。