●;記憶について(4)

●;土曜、昔の職場仲間「カンバヤシ」から久しぶりの電話。「書状と香典返しをもらったのだけど、アイツは東京にいたっけ?」と。文面に母親が昇天しうんぬんとあり、送り主に一族の名前がずらり。アイツの姓と名前の一字が同じ「洋」とある。てっきりアイツ(洋一)が「東京にいる」と思い「あんたが知っているはず」と電話をかけて来た。そう、私らの母親や父親はこの世にいない年頃であったから「カンバヤシ」が彼の母親が死んだと思ったのは無理はない。しかし、香典など送った記憶は彼も私にもない。
●;フィリピンのダバオにいるアイツに電話する。「どうしたの?」と、いつものように早口の畳みかける口調が返ってくる。このコトバの勢いというヤツが彼の真骨頂であり、同時にムリな生き方をしてしまう部分だ。彼の<唯一性>は、一端、放つよどみないコトバの質量、アジテートにある。
「お袋さん元気?」。しばし、鹿児島にいる老親の話。足は弱くなったのだけど〜と、元気でいらっしやることがわかる。ここで「カンバヤシ」の勘違いが判明する。が、すぐさま電話を切る訳にもいかず、ガン術後三年の容態など聞く。「あれは三年前、幕が下りてから〜」ではないが、ガンに罹って日本の病院で手術すると、昔の職場仲間になにとはなしに知らせたのが三年前だったか。<東京という速度都市>にいる私らはそんな病人が身の回りに多いのが手伝って他者に対して冷淡になってしまう。「風の便り」が来ないのを淋しがる反面、その風がどこかへ飛んで収まるのを待っていた節がある。身近にいればすぐさま見舞いにかけつけて感情を共にするのだけれど、なまじ<遠い>ところにいて手足が届かないことを理由として、実の半分は見捨てるような酷薄なところがある。キッカケは札幌にいる工藤正廣さんが図書新聞井出彰に5万円だかの見舞金を送ってきたことだ。関係の深浅さを図りかねるやや法外な金額に驚いた井出彰から「どうすべぇ」と相談があった。工藤さんは職場仲間ではない。執筆者もしくはダベリ仲間として同時代を送ったのは確かだが、せわしなく、せこく、他者との関係を薄めて生存している<東京者>と生なるものに濃厚な関係を持つ<地方者>の違いかもしれないなどと思いつつ、お互いに溜息をついたものだ。詩心の持ち主を代表しているかのような工藤さんに尻を叩かれた格好で「カンバヤシ」も含め親しかった職場仲間からカネを徴収して某かの見舞金を送った。それから何年か経つ。都市に棲む者にとって短い過去は長く映る。「香典返しが来るなんて〜」と、カンバヤシが訝ったのもわからないではない。フィリピンにいるアイツの時空感覚とこっちのそれの大いなる違いが勘違いを生む。そうさせる。
●;「ヤツのお袋さんは生きているよ。お前さんの間違いじゃないのか」とカンバヤシに電話。「アッ!思い出した。歯医者の奥さんが死んだんで香典を送ったっけ。オレも惚けて来たな」とシニカルな応え。
惚けたのではない。ウッカリではない。人はある時人を知り、なんらかの声を交わす。だが、そこにはズレが生じる。相手との微妙な差異や優越感のコンテストが生まれるが、なまじ学校仲間や職場仲間だったりすると、その差異を明らかにするには共同体感情の方が大きく中断してしまう。だが、お互いの心の深部に擦過傷を残す。アイツと私らとの関係も実はそうだ。一番、近いと思われている<私>ですら、彼との記憶はその後の私(ら)の生涯のいくつかの場面で変型している。そして、ある時、ふと、断片が蘇る。頭をもたげる。自分流に再構成された<記憶の像>が自己組織化され生き延びていく。カンバヤシの勘違いは、決して濃くはなかったアイツとの<関係の網の目>から漏れたということだけだ。そう、何年も会わずにいて<異国>どころか<遠い別の国>へ去って行ったと思えば思うほど「記憶」は変型し、うつろう。