●;記憶について(3)

●;夏の終わり、故・宮武謹一さんのお宅へ伺って書斎の本をいただいた。宮武さんと親しくしていた三上治に未亡人から「貰ってくれる?」と伝言があり、研究会メンバーだった新田滋ともどもお邪魔した。二人ともそれぞれ関心のある分厚い本を貰ったようだが、私は(装幀が)「軽い本」を選ぶ。『現代哲学の冒険』シリーズ(91年〜・岩波書店)の『場所』と『物語』の二冊、タイトルに関心があったからである。
●;「さつき」さんら中学の同窓生に会ったせいもあってか『場所』をひもとく。<場所>の概念を広い視野から把握させようという試みを気鋭の学者・研究者(知らない人もいた)に寄稿させている。「土地/記憶/欲望」(菅啓次郎)、「物語/空間/権力」(赤坂憲雄)、「橋と扉をめぐる架橋的エッセイ」(高山宏)と続き、「色と意識…感覚のトポロジー」(村田純一)、「現実への階梯…自己同一者・自己組織系・場所・無定立態」(雨宮民雄)、「イメージの図書館<異境>の演出」(今福龍太)と、それぞれ魅惑的なタイトルだが、読み通すのは辛い。(雑誌)「現代思想」の特集に似た構成の「哲学講座」なのだが、執筆者たちよりもエライとされる編集委員たちの‘重し’を付けて成立させようとする?岩波書店の講座という限界があってか、通読しようとしても弾かれる。有機的に繋がらない。
●;菅啓次郎氏の「手紙型式」のエッセイをパラパラ読む。《ぼくはいつも鈍さの側にいた》のフレーズに惹かれる。「鈍さの側、ねぇ」(いつもそうだったな)と、菅氏の文章に関係なく我が身に引きつける。