●;記憶について(1)

●;中学の同窓生5人との飲み会。いつも幹事役を引きうけている「Kくん」から一ヶ月ほど前に連絡があり、今回の‘企画’は私ら悪童たちのマドンナであった「さつきさんが上京するから」であった。「<家族>に執したエッセイ」を三冊ほど出している「さつき」さんとは(10年ほど前だったか)担当編集者を介して会っていたので、憧れていた人に会う気恥ずかしさのような特別な感情はなかった。つまりフツーの感覚でフラットに会える。だから「過去の記憶」を取り出して「あぁ、そうだっけ」と反芻しあう以上のものを手にしたかった。ま、より新しい<実感的なもの>を受け取りたかった〜、なんてのが出かけるモチベーションであった。
●;会食していた寿司屋を出て通っていた中学に寄ることにした。「さつきさん」のために「Kくん」が用意したコースである。そういったサービス精神には、いつも「過剰性」が感じられる。こういった同窓生集めのエネルギーはなんだろうと考える。一学年に50人ほどのクラスが8組ほどあったすし詰め中学だったせいもあり、同窓生の誰それの貌もほとんど覚えていないのに、「Kくん」はまるで(同窓生の)エピソード収集家のようになっている。
その‘秘密’(でもないが)の一端を知る。大学の一年生だったかに穂高の岩場で墜落事故で頭を強打し現在まで車いす生活を強いられている「ナワクン」を訪問するようになってからだ、という。「ナワクン」は、同窓生の誰それの貌とかをしっかりと覚えているらしく間歇的な見舞いで会うとその誰それのことを語るらしい。それで覚えはじめたと「Kくん」がいう。「さつき」さんもその一人で、昨日、「さつき」さんを連れて見舞ったとか。少年期の「記憶の断片」にすがっている「ナワクン」の<立ち居振る舞い像>が浮かぶ。この同窓生たちの<中心>は「ナワクン」の「小さな記憶」ではないかと思うと(少し)うろたえる。彼こそ、同窓生たちの「精霊の王」だ。
実際、今夏、何十年かぶりで車いすの「ナワクン」に会った際、とうに忘れてしまっている私の小さなエピソードをしきりに(回らぬ舌で)語っていた。「タカオカは、あの時〜さぁ」と。(「そうだっけ」と私)。
●;雨上がりの砂地の校庭は靴が沈んだ。グラウンドも狭くなっていた。この中学のシンボルであった小さな山(丘陵)を見上げる。小高い山だったのが、都市再開発地域のように削られて可哀相なほど存在感が失われていて単なる藪と化していた。コンクリート建てのプール、体育館、理科教室などの近代的な施設が山を削った。この小さな小高い森の影で仕入れた「猥褻な本」(後に芥川龍之介?が書いた本ということも知ったが)を回し読みしていた記憶は濃厚にあるけれども「この学校には格別の思いはない」とうそぶいた。その場所が何も記憶していないと言い切るのは簡単だけれど、どうもそれは「洞察力の怠慢」のような気もしないではない。何十年前の場所に何かが残っているわけではないと思うのは「単なる思いこみや願望にすきないのではないか」。つまり私の現実の気分が、その土地を無化しているのではないか。
「ナワクン」が語る同窓生たちの<エピソード>は、最大の他者である彼自身に向かって語り聞かせる「物語」であろう。彼の残像の中にいる私(ら)は、これといったこともなく通り過ぎた人々であるはずだが、むしろ、それに特別な「(記憶すべき)価値」あるものとしているのは、彼の<生の必死さ>、ままならぬ「生」のもどかしさ、もがきの現れであり、その「物語」を紡ぐこと、「記憶の再構成」が彼の長い仕事であろうか。そして「エピソード」が尽きた時、彼は「どうする?」