●;選挙後の言説(4)

●;「市場原理主義」と言われるものを理解したい。小室直樹氏のコトバを借りれば《市場の最大機能は淘汰にある》。市場が企業を作り、市場が労働者を作る。市場によって生まれた企業は、淘汰を繰り返す。淘汰されまいとする企業は必死に市場拡大を御旗に掲げる(業界団体が生まれ、業界秩序を形成する理由はここにある)。
しかし、淘汰される企業は破産を強いられ、失業者を生む。それが資本主義=自由市場の生命である。富士重工トヨタに吸収されるなど、M&Aなど、日々見聞する現象は、まさしく市場原理の適用例である。自由市場とは、カネは誰が持っても同じという「同質性」に依拠しているし、市場へ供給する者がいてそれを求める者が多数いれば成立する。そして「参入や退出の自由」は保証される。従って「完全に情報化(=オープン化)」されなければならないという原理に立つ(但しだ)。
●;市場を作る者は誰か。流動させられるカネ=資本を持つ者である。彼らは「需要と供給の落差」に利益を得ようとかぎ分ける。その欲望が新しい市場を作る。「欲しいモノ」を「渡そう」とする彼らがその交換価値をめぐる市場を作る。カネは持っているだけでは富を生まない。
「新卒採用市場」を形成したリクルート社は、なんだかんだ含めて(現在)売上3000億超と聞く。優秀な新卒者を欲しい企業に「調達支援サービス」を編み出した。新卒者を大量に採用したい企業側の需要と供給側(新卒労働人口)の「情報落差」を利用した新しい市場である(30年前には「新卒採用市場」というものはなかった)。新卒採用市場の障壁だった「○年生の○月までは新卒採用の営業行為はいかん」といった規制を行う「官」(旧文部省?、旧労働省)や「民」(大学〜)の制度的な考えは次第に解体される。今はこぞって各大学は協力している。大げさに言えば、世界のグローバル化(=世界の市場化)に旧制度的が吹っ飛ばされたということだ。
●;「民営化の争点化」に成功したコイズミ自民党らの政治権力は強固になった。戦前の大政翼賛会と同類視して「ネオ・ファシズムになるのでは〜」という言説もある。むしろ、権力は「完全にオープン化」の市場原理の申し子であるはずが、「ルールの掟破り」を行う可能性がある。あるいは「新法」を作ることによって権力行使を図る。権力側は「市場原理のルール」が彼らを縛ることに苛立つ。その端的な例は、現行憲法下でなし崩しにイラク派兵したのを、別の新法で(新憲法で)派兵するように運ぶ。「言論や出版の自由」といった権力の縛りを決めたルールも解体しようとする。