●;選挙後の言説(3)

●;お盆に父親の墓参りに行った。毎年、恒例になっているが、散在する従兄弟たちの家々を訪問する。親戚の誰がどこの誰がどうしたとかの四方山話が出尽くしたところで、ちょうど選挙前だったので「盛り上がっている? この辺りではどうなの?」と探るように聞いた。ちょっといやらしい質問である。テレビで「郵政民営化」だの刺客だのと、かまびすしかった頃である。元国鉄マンだった従兄弟を亡くしたばかりの新盆で来客の世話で忙しかった未亡人が言う。「このあたりは、昔から自民党なんだわ」と、ポツリ。この地方では保守勢力に味方すると広言することがごく自然で、それ以外は「反自然」だ。つまり<変わった人>になる。ここの生活共同体の中では<変わった人>に村八分的な露骨な差別は(今は)ないが、なにとはなしに遠ざけられる。そんな「まなざし」を引き受けなくてはならない。
亡くなった従兄弟の座敷には、家具として扱いが低い小さな本棚があり「国労○○史」といった函入りの分厚い記念本があった。平凡社の「百科事典」などと並んで埃をかぶって置いてあった。死んだらどこかへ仕舞われたようだ。国労の末端組合員だった従兄弟が国労組織に忠実だったかいい加減だったかはよく知らない(たぶん、その二面性を持っていたのだろう)。「いやらしい」と記したのは、保守王国とも言われるその地方で、今回の「郵政民営化」をお題目とする国政選挙の受けとり方を聞いてみたかったという心根がさもしい。詮索しようとする心がである。「知識人もどき」の振る舞いもだ。たかだかの情報を持っている私の方が「上」で彼らは「下」という無意識が働いているとしたら、とんでもない野郎である。
●;「(自民党の領袖のなんとかの)息子さんの○○さんが強いわねぇ」と彼女はさらりという。この「強い」という言い方の中に「強い者に投票するんだわ、私らは」といったものが含意されている。そう、安寧と生きていくには「強い者を選ぶ」、「今の官軍」を選ぶ。だが、一言か二言、エラソーに言いたそうな<私>を親しい親戚(の一部)としては認めても胸の内は、明かさない。