●;選挙後をめぐる言説(1)

●;05総選挙後の(総括めいた)言説の全てに目を通しているわけではないが、自分なりの総括をしてみよう。いかなる性格を帯びた政治権力が生まれ、彼らが、次に、私(ら)になにをどう強いるかに強い関心がある。
●;「郵政民営化」がコイズミ個人の悲願であろうがなかろうが私(ら)には直接関係ない。自民党の反対派の法案反対の理由が、党内民主主義?の逸脱とか、コイズミの政治手法の非道さを言っても「ああ、そうかい。ご勝手に」という程度の認識であった。殺戮さえ伴わなければ、内ゲバはとことんやったほうがいい。ただし、オープンにである。
田中角栄が作ったといわれる特定郵便局長らを中心とする票田組織力の影響で亀井派橋本派の一部が反対したかに見えるが、ここのところがよくわからない。その点、「研幾堂」氏が記していた世川行介著『郵政 何が問われたのか』(現代書館)を読む必要があるようだ。
また、<地域の力ある人々>によって選出される「地方小選挙区代議士の選挙基盤の構造」というやつが見えない。都市部の私が住む辺りでは<地域の力ある人々>の貌が一つとして見えなかった。毎日、帰りが遅かったせいもあるが、選挙カーの連呼も聞かなかったし、相手にもされないけど党派の運動員らから電話も掛かってこなかった。
野田聖子あたりが法案に反対し、選挙後、すぐさま「コイズミ賛成」に回る理由もわからない。反対理由を明確に語れない凡庸な政治家というしかない。コイズミ・チュレドレンらの大半も賛成の理由を語っていない(だろう)。せいぜいが「改革は正しい道です」と口裏を合わしている程度。
●;「構造改革」の政府側のイデオローグは、竹中平蔵大臣。頭の良さそうな人で数字に弱い人々への物言いに「愚民感」が漲っていて好感を持つことはないが、俗に「市場原理主義(者)」と言われている。現代資本主義が差異化に次ぐ差異化を図らなければならないのは自明の事であって、現代=ポスト産業資本主義下では、差異化を妨げる規制は原則的には廃絶される運命にある。ただ、産業資本主義的な部分とポスト産業資本主義が併存しているのが日本の現状だから、前者の側が後者の跋扈を忌避する側面もある。亀井静香氏などがホリエモン氏の政治舞台への登場を「カネだけの人」と非難するのもそれである。
また、国家権力の側がその前者・後者のバランスをコントロールしつつ、世界資本主義の波に乗りつつ、自国民を<食わす>ためのフレームの描きかたが問われる、と同時にその実行レベルで<食わしたはずの自国民>にどれだけの「自由」を与えて統治に進むかに問題の本質がある。
折しも、憲法改正のための「国民投票案」を審議しようという声が自民党からアドバルーンが。吉岡忍氏の話を聞いた限りでは、恐るべき「不自由」を強いる案である。