●;批評的なメディアから

●;「toxandriaの日記」氏の引用から…

《ここで使われたのは、いわゆる近代市民社会の理性と感性が創出した手法ではなく、どちらかと言えばヤクザ・暴力団等のアンダー・グラウンドな世界で使われる手法です。このような“異界”で尊重されるのは“験(げん=縁起)かつぎ”であり、“神棚へ榊(さかき)を供え、手水を使う禊(みそぎ)”であり、「高位の神職」(小泉首相)の興に乗ったパフォーマンスや「厚化粧の巫女」(刺客の“くのいち”)たちの妖しげなショーを想わせるような舞い振りが示唆するご託宣です。だから、一大神事が終わって神憑りから覚めた今になってみれば、小泉劇場で自分たちが『幻想のバブル』に大喝采を送った意味が考えられるようになるにつれて得たいが知れぬ不安な気持ちが広がり始めるのです》。

「高位の神職」というレトリックがいい。髪振り乱して絶叫しているコイズミは何かに憑かれた人のように映った。「共感した」なんてことではなく、人々はたじろいだのだ。その「人々」には地域や職種や年齢や性別によって様々な分析が出来るだろうけど、総じて高位の後ろに鎮座するさらに怖い権力があると知覚した。別に鎮座している旧来の「個人」ではない。人々も(私も)うまく表現できそうにもないその<怖さ>をすり抜けるべく、当面のコトバとして「カッコイイ」とか「筋が通っている人」とかを口にしたのだ(確かに若い世代ほど好悪の判断が速いが)。かくてとりわけ都市の住民は、あぶなかっしい党、回りくどい党、旧い党への投票行為を避けた。だが、不安は忍び寄るばかりである。この不安とは「お前を殺すぞ!」とかの<生の不安>ではなく<死の不安>なのだ。
●;過日の討論会で平野貞夫氏だったかが「総理大臣の権力は魔物なのです」と語っていた。鈴木宗男氏と「近い人物」として各メディアでラスプーチンのように扱われたあげく、逮捕・拘留された元・外交官の佐藤優氏も権力の怖ろしさを語っていた。ヤバイと思った氏が外務省の上司に身を預ける。どこかの国に「トンズラ掻こう」とするが、ストップされる。結局は「君を守れなくなった」と涙顔で謝ったその外務省高官が指差した方向は「官邸筋」。「誰が」という話ではない。指さした方向には、責任主体を明かさない透明人間の集まり、「官邸筋」という名の見えない権力!合法的に人を葬り去る組織。クワバラ、クワパラ。人々は(心の奥底で)恐怖を押し隠し、当面の一時的な仮託を行ったにすぎない。決して政治的なバカではない。