●;イヤな感じ…ムカツくということ

●;マキアヴェリの言葉で《父親を殺された時よりも、自分のプライドが傷ついた時に相手に殺意を抱く》というのを読んだことがある。『君主論』ではなく、誰かが引用していた箇所である。(〜ような気がすると言わざるを得ないいい加減な性分のなせるワザなのだが、ボンヤリとした記憶を原典探しもしないでほったらかし状態なのだが)。「ウーム」。気に入ってしまったこのコトバを、すぐさま当時の同僚に口伝えした。「そうなんだよ!」と、ことのほか大きな相づちが彼から帰ってきた。当時の私(ら)は「左遷組」であったせいか、<プライド的なるもの>に敏感であったのだろう。いや、私よりも彼の方が感受性が強かったのだろう。(当時も今も正しい‘処分’と甘受していたところがあって左遷自体が「ある体験を強いている」と思い、さしたるプライドを壊されたという思いは少なかったが)。
●;「プレゼン」ではないのだが、ある席でちょこっとした説明を行った。ま、座興のつもりである。自分の考えていることの曖昧さを人によって固めてもらうために、つまりフラッシュ・アイデアに近い考えを相対化する方法として比較的多く人に語るようにしている(なーに、単なるお喋りよ)。
見知った顔同士という甘えもあって「皆さんのご意見をいただきたい!」てな前置きで開陳を試みた。ある人はチンプンカンプンだったらしく反応も今一つだったが(反応がないということ自体が「いい」のである)。ただ、即応した者が一人いた。その彼は出した話を自分に引きつけて(いわば曲解して)凡庸な自説に引き替えて語り始めた。ま、いつもの自慢話である。「ちょっと、オレの話をちゃんと聞けよ」といった感情がこっちに生まれたのだろう。その感情を察知してか彼はとたんにむくれだした。なんでも<得意がる男>、つまり<中心に座りたがる男>の相である。そのムカツキ方の幼さに対してある種の軽侮感を伴う評価がこっち側に派生したその言外の瞬間を感じ取ったらしい。シーソーゲームのように否定的なコトバを返してきた。酒席に「闖入してきた余計な男」と私をみなしたようであった。その忌避感を現すのにその席にいた年長者を使って話題を映していった。ここでの年長者は、<中心に座る男>の守護の役割を担う。「ああ、こんな権力的な奴はダメだな」と、席を離れた。
●;「ムカツク」とは、いつの頃から聞くコトバで自分も時には使わないではない。「ムッ」とか「ゲッ」とかの擬音語で<感情のなにか>を表現するこが多いが、「ムカツク」とはさらに内臓的なコトバである。ただ、自分以外の者を受け入れまいとする時に用いる身体的な拒否感情語として頻繁な使われ方をするようになったのは、他者を遮断してしまう<社会というもの>か。唐突だが東浩紀動物化するポストモダン』(講談社新書)を思い出す。