●;宮武謹一さんの時代(7)

●;宮武さんの日本共産党入党は、昭和3年の第二次共産党弾圧・3.15事件の後か、翌年の4.16事件以降だと思われる。昭和5年、田中清玄がリーダーとなる「武装共産党」再建の熱海事件の累で逮捕される。(清玄との関係はここからか。右翼だのフィクサーだのと言われて毀誉褒貶甚だしいが、清玄はなかなか面白い男だと思う。自伝的なものもあるかもしれないが、そこまで読む気がするほどではないが)。
氏は治安維持法違反で起訴され入獄。昭和12年満鉄調査部(上海)へ。16(?)年頃、帰国。
●;宮武さんの<青春時代>を紐解こうとして松本清張『昭和史発掘』(文藝春秋・15巻)を拾い読みしている。清張のこの頃の(1960年代)執筆熱意がわからなかったが、彼なりの<青春時代の再構成>のような気がする。取り戻し感情と解したい。清張も非合法パンフを読んだとかで検挙されたらしいが。ただ、それだけに日共自体を相対化しようとする視点はない。彼の「政治家」を扱った小説がつまらないのは、権力者の描き方が類型的になっていることと繋がっている。結局のところ「戦った共産党」という神話に蹲ってしまう作家になってしまう。「赤旗」などでコメントする作家であったかどうか詳しく知らないが「敗北した党」、「大衆に運動を提起できなかった党」という見方はなかったように思う。