●;宮武謹一さん逝く

●;訃報届く。宮武謹一さんがお亡くなりになった。94歳の大往生である。白い半袖シャツに黒いネクタイを締めて通夜に出かける。斎場は隣町だから自転車で行くことにする。通りすがりの文房具屋さん(確かここのオヤジさんも亡くなったばかりかなどとその風貌を思い出す)で香典袋を買い、金○○○円投入。借りた筆ペンで名前を書く。宮武さんは俺の名前を覚えてくれていたかな、と思う。いつか、年賀状の返事をもらった時になにかしら嬉しかったことを思い出す。
住宅街の中に出来た今風の(つまり安手の)瀟洒な会館が式場であった。ユウジンたちと同席する。葬儀会社の女性たちのテキパキした、しかし儀礼的な口調とその手つき。百合の白い花に囲まれた宮武さんの顔写真に手を合わせる。写真の中の宮武さんは、よくお邪魔していた書斎のソファに腰を下ろして珈琲カップを手にしていた。晩年近くのふだんの顔つきであった。
●;ユウジンたち(一人は宮武さん宅に下宿していたS教授)と近くの韓国料理店で宮武さんを偲んで昔話をつつく。東大に入学した頃から下宿していたS氏の「とんでもない人だった」という評価に頷く。たしかに昭和史を駆け抜けた人であった。40年前の話に聞き入る。「ヘェーっ」という話もあった。1973年頃からのつきあいがあった三上治氏の誘いで私は氏の書斎にお邪魔することになったが、正確には覚えていないが、それでも20年近くの勘定になるか。もっといろいろな話をちゃんと聞いておればよかったという感慨になった。